
「noteを書く目的」は誰かに読んでもらうためではないが、誰かに読んでほしいとも思うエゴ
先日、毎日投稿が1年を超え、節目を迎えました。
この機会に改めて、何のために自分自身がnoteを書くのか、ということを考えてみたいと思います。
自分自身の備忘録としての「note」
最も大きな目的は備忘録の意味が強いかもしれません。
毎日の生活の中でニュースや時事について考えることは多々ありますが、放置するとせっかく深く思考したり、新しい視点を思いついたりしても雲散霧消してしまうことがほとんどです。
noteを毎日書くことは、そうした日々消えていく記憶の外部装置として私の生活の中では機能しているようです。
思考の整理としての「note」
上記と関連しますが、文章にまとめることで思考が明確化し、自分の思考のパターンや考え方を整理するのに使っています。
こうすることで、感情的に判断したりするだけでなく、法律や権利などに関して深堀して考えることができます。
表面的に考えているだけでは思いつかないようなことや、頭の中でまとまり切れないことが書くことで一つのロジックとして組み立てることができるようになります。
誰かに読んでもらいたい意識
noteを書き始めた当初は、どちらかと言えば自分の意見を発信したい、誰かに読んでもらいたい、という気持ちが先行していたように思います。
しかし、毎日継続していくことでそうした気持ちは薄れてきました。
その理由として考えられるのは、逆説的ではありますが、ある程度読んでくださる方がいるからだと思います。
毎回の記事にスキを押したりコメントをいただく方はもちろんですが、ダッシュボード機能によって訪れた人の数が可視化されることで、自分の記事が多少なりとも誰かの目に留まっていることがわかるようになりました。
そのため、自分の記事を広めたい、という意識よりも自分の考えを共感してもらえる人の視界に入れば十分という感覚に変わったようです。
もちろん、読んでいただけるのはありがたいのですが、あくまでも自分の書きたい内容を、書きたいスタンスで書いた上で読んでもらえなければ書く意欲が湧かないのではないかと思います。
読んでもらえるために考えるべきこと
とはいえ、noteのようなプラットフォームに文章を書く以上、誰かに読んでもらわなければ意味がありません。
そのために、工夫をしていくことが必要でしょう。
内容面よりも、SNSとの連携はもっとやり方を考えていきたいと思います。
現在はTwitterに単純にリンクを張っているだけで、十分に機能しているとも、誘導ができているとも言い難い状況です。
このあたり、note執筆者の人たちをやり方をよく見て盗んでいきたいところです。
自分のために書きつつ、誰かに読んでもらうという両立が次の1年継続の目標となりそうです