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学校での教科教育がやはり生活の中で重要ということの再確認
学校教育の重要性に関して
私は自分のnoteの記事中で繰り返すごとに学校教育の重要性について書いてきました。
その理由は長期的な視野の広がりや思考力の向上という大局的なものももちろん存在しますが、そこまで考えなくとも日常で利用する知識や思考の多くが高校までの教科の学習の中に含まれると考えているからです。
今回、またその重要性を再確認する記事を見かけたのでまとめてみます。
二酸化炭素の恐怖
人間が酸素を吸って、二酸化炭素を吐き出すことを呼吸ということは知られています。
今回の事件は酸欠のリスクを会社から聞いていないために死亡事故につながったようです。
もちろん、従業員に対して死亡する可能性のある状であるという説明を行っていない会社側に過失があるのは事実です。
しかし説明が無かった場合は命を落とすというのでは割りが合わないでしょう。
定期的に起こる二酸化炭素関係のトラブル
数年前の話ですが、自宅プールにドライアイスを大量に入れた結果、プールに飛び込んだ人たちが酸欠となり死亡するという事件がありました。
地球上の大気の成分組成は学校で学ぶことの一つです。
地球の大気は、窒素78.1%、酸素が20.9%、二酸化炭素が0.03%ですが、
呼気に含まれるのは、窒素が約78%、酸素が約16%、二酸化炭素が約4%、と酸素の量と二酸化炭素の量がこの程度増減するだけで呼吸には使えないということです。
この事件の場合、水面近くでは二酸化炭素が100%近くなっている可能性があると考えると、命に関わる危機になるのは必然でしょう。
理科的知識、感覚の重要性
これらの例を見ても分かるように、高校化学の重要性は極めて高いように感じます。
命に関わる問題だけでなく、料理や食品加工などで沸点上昇、浸透圧などの知識を用いるケースも少なくありません。
また自動車を運転する場合の制動距離や荷重など、物理的な感覚があるだけで事故を避けたり危険を予防することが可能となります。
私は生物、地学を高校時に受講していないのでそこまで知識があるわけではありませんが、調べてみると教科書レベルの知識は多いようです。
もちろん大人になってから再度知識を得ることは可能ですが、若い時期にそうした知識をローコストで得る機会を無駄にするのは経済的にも時間的にも大きな損失でしょう。
社会や国語、それ以外の教科も同様
私は数学を担当しているので、数学の知識が大人になって必要になった話を聞くことが多いですし、実際アンケートなどでも数学が必要になったという結果が出ることは多いようです。
しかし、それは数学だけに限ったことではありません。
社会や国語、それ以外の教科の多くも生活の中でその知識を活用する場面は決して少なくないのです。
役に立つから学ぶ、という考え方はそれほど好むところではありませんが、これほど役に立つ場面があるのだから面白い、そして面白いのだから学ぶべき価値が十分にあるでしょう。
大学受験は人生の分岐点として大きな意味を持ちますが、学校の学びはそれだけではありません。
中高生は学校の学びに興味を持ってみる、大人で学びの少なかった人はぜひ学び直しをすることをお勧めします。
なぜならば「面白い」からです。