面接や志望理由書において見落としやすい「論理的整合性」
11月も後半に入り、大学入試では推薦、総合選抜型の試験が佳境を迎えています。
高校教員の多くは、推薦や総合選抜においての面接指導や志望理由書の指導を行っていることでしょう。
私もその例に漏れず、その手の指導が授業の合間に入っており、職業的な季節感ともなっています。
そうした指導においては、基本的には生徒が書いてきた原稿や素案に対し朱入れをしたり、文法的な誤りを指摘することが主になります。
しかし場合によっては、内容そのものに関する相談を受けて、作成段階から指導に入ることもあります。
パーツを分解して準備する
私はそういった指導を行う場合、一先ず志望理由や長所、短所、高校時代に頑張ったことや資格などを箇条書きに書き出してくるように指示します。
彼らの多くは、その指示に従ってじっくりと考えた上で自分が評価される要素を書き出してきます。
しかし、その準備原稿をもとに志望理由書を作成したり、すぐに面接練習を行うと、仮に文章力や対人コミュニケーション能力が高い生徒であっても、違和感があることが多いのです。
その理由は「論理的整合性」です。
文章上の「論理性」と「論理的整合性」
文章を書く上で「論理性」は極めて重要です。
しかし、志望理由書は小論文などのように何かを主張するための文章ではないため、それほど複雑なロジックを組み立てる必要はありません。
しかし、同一の個人の主張であることから「論理的整合性」が絶対に必要です。そうでなければ、同じ人間の主張とは思えないちぐはぐな印象を受けることになるからです。
面接や志望理由の「論理的整合性」
では、面接や志望理由書における「論理的整合性」とはいかなるものでしょうか。
例えばですが以下のような生徒がいたと仮定します。
祖父の病気(がん)がきっかけで医師を志望した
将来はがん研究に携わりたい
部活動はバスケットボールを3年間続けた
長所は論理的思考力に長ける
短所は飽きっぽい
得意教科は英語(英検準1級取得済)
苦手教科は数学
医師体験を通して患者さんの立場に立つ医師が目標
定期試験は毎回一桁の順位
典型的な優等生ですが、こうした生徒と面接練習を行うと、非常に底の浅いやりとりに終始するケースが非常に多いのです。
その理由は一つ一つのアピールポイントのつながりが薄く、「論理的整合性」が乏しいため、総合した人物像が一つの「人格」として成立していないのです。
祖父の病気や医師体験のウェットな志望理由なのに研究医志望
部活を継続し定期試験や英語の勉強も熱心なのに飽きっぽいという短所
論理的思考が得意なのに数学は苦手
明らかに主張内容に矛盾が発生しています。
もちろん、実際にはこれほどちぐはぐなケースというのは少ないのですが、自分の特性と職業適性が矛盾する内容は比較的よく見られます。
(客観的に見てそれほど適性が低いわけではないが、話をまとめるとそうなってしまうということです。あまりに適性が低い場合は別の道を模索するようアドバイスを事前にしています)
この場合、どのような指導を行えばよいのでしょうか。
長所と短所の「論理的整合性」を整える
長所と短所を上げる場合、多くの生徒が漠然としたイメージで回答します。
長所は論理的思考力に長ける
短所は飽きっぽい
こうした漠然とした長所と短所を捉えなおし、実際の行動から書き換えることにします。
長所は「何事も論理的に考え、工夫して取り組む」
短所は「単調な繰り返しが苦手」
とします。こうすると、部活動の経験や英語の勉強は論理的に工夫をして取り組んだために続けられた、数学は計算などが単調で苦手意識を持ってしまった、という整合性が生まれます。
さらに、工夫して問題演習に取り組むことで苦手を克服できるという可能性も加味できます。
志望理由と人格、適性の「論理的整合性」を考慮する
志望理由に関しても同様です。
祖父の病気が医師のきっかけだけの場合、通常は臨床の道を考えるのが自然です。
最低でも、臨床と研究をつなげる理由がないと論理性の薄い理由になってしまいます。
特に医学部の場合、「医師になりたい理由」は「医師でなければできない理由」考えるべきです。
(がん研究だけでは薬学部や理学部でも可能)
例えば以下のようなものです。
「臨床の場に立って患者さんと相対して治療だけでは限界があり、広く社会に影響を与える治療を行うためにも研究に取り組みたい」
「祖父の病気から日本でもっとも多い死因であるということへの問題意識の芽生えた」
などの補助的な内容を入れ込まないと「論理的整合性」は取りにくいでしょう。
内容を深めることも重要だが
面接や志望理由に関しては内容を深く考えることに目が行きがちです。
もちろん、話す中身を掘り下げて自己理解を深めたり、知識を増やすことは重要です。
しかし、面接試験はテストであると同時に、他者(試験官)とのコミュニケーションの場でもあります。
自分という人間の理解を相手に求める以上、相手が受け止めやすいパッケージングをするべきです。
そのためには話す内容、本人の適性、自己理解に整合性があることで統一感を生むことが必要不可欠しょう。
忘れやすい要素ですが、自分という人物像イメージを容易にする、という視点を持って内容の「論理的整合性」を確保することは重要のように感じます。