「超進学校は生徒が優秀だから進学実績が高い」のだから、教員の「質」は無関係と言えるか?
超進学校はその教育力が優秀だから伸びるのではなく、生徒が優秀だから進学実績が保たれているのだ、という主張があります。
これに関して連ツイを書き込んだのですが、それを整理してまとめてみようと思います。
大前提として、合格は本人の努力
大学進学実績を喧伝する学校や塾は数多くありますが、合格した要因の最も大きな部分は言うまでもなく受験生本人の努力です。
指導がどれほど優れていたとしても、環境がいかに整っていても、最終的には本人が勉学に励み、試験に挑み、合格点を勝ち取らなければ合格にはなりません。
ですから、以下で書く内容は、本人が自力でできる以外の部分に関して焦点を当てたものとなります。
また、以前「社会的学習理論」に関しても触れた記事があります。
これは周囲の人間の影響を受けるため、優秀な生徒が多いほど優秀になる機会が増加する、という考え方です。(何が優秀かの定義はおいておきます)
今回かこれを除いた、教員、指導者側の価値に焦点を当てた内容をまとめていきます。
同じ学校でも進学先には差がある
まず、中学受験で精緻な選別を行うことができたとしても、6年後の受験結果にダイレクトに反映されるわけではない、ということです。
実際、同じ試験をクリアしているにも関わらず、超難関大学に進学する人とそうでない人が難関中高出身者でも分かれています。
また、中高入学時の成績と進学先に関してもきれいな相関は出ないことが多く、入学時の選別だけで進学実績が担保される、とまでは言えないことの方が多いように感じます。
渋谷教育学園や豊島岡女子学園など、かつては二番手や滑り止めだった学校の進学実績が伸びた時期がありますが、当時はそれほど入学者に人気だったわけではなく、受験者の成績が優秀だから、という説明だけでは不十分でしょう。
もちろん、その要因は大きいですし、中核となる存在を特待生として引っ張って来るなど直接的な改革例も存在はします。
しかし、よく見てみるとそうした施策を何年も続けなくても、継続的に進学実績が上がるシステムの構築がなされたようにも見えるのです。
文化の継承
超進学校や名門校、伝統校と呼ばれる学校では、文化の継承が先輩から後輩へ行われています。
これらは行事や部活動などの各種活動を通じて行われますが、その内容の中には学校文化や哲学、受験勉強への取り組み方法や姿勢、矜持やプライドなど多種多様なものが含まれています。
「東京大学ぐらいに行くのは当たり前」という価値観で生活している生徒と、「東京大学なんて幻想の世界の話」という視界でしか見えていない生徒では、東京大学へ進学するハードルの高さが大きく変わるでしょう。
こうした文化の継承を受けた生徒たちによって、ある程度自然発生的に難関大学志望者が生まれ、切磋琢磨する空間が形成されます。
ところが、こうした文化の継承は必ずしもスムーズにいくわけではありません。
入試の試験日の重なりや景気動向、今回のような感染症や311のような自然災害などで、受験者が思うように集まらなかったり、行事や交流が極端に少なくなるケースもあるからです。
また、そもそも生徒自身が数年おきに入れ替わるという学校制度において、自然状態のままであれば文化の継承を繋ぐことは相当に難しいこととなるでしょう。
そして、それこそが教員の存在の重要性となります。
「語り部」としての教員
生徒間だけでは十分に継承されない文化を「語り部」として次世代につなぐ手助けを行うことが、名門私学や伝統校では「無意識」的に行われています。
そもそも、卒業生教員など文化の継承者本人が「語り部」となる場合もありますし、そうでない場合も文化に長期間触れて理解ある仲介者として次世代の中核者や代表を選抜することで、継承の最適化に寄与しているのです。
私学の場合は異動がないため、教員があたかも里の長老的な役割を担いますし、公立であっても伝統校などの場合は20年近く異動していない教員などがいてそうした存在となっているようです。
逆に、一般的な新興の公立学校などでは人事異動が適正に行われるため、こうした教員の不在が文化継承を困難にしています。
実績が向上したケースのノウハウや要因を語り継ぐ存在がいないため、連続性の無いリスタートを毎年行っているということになります。
授業動画などが普及する以前は、名物教員の授業という独自性に価値がある部分もありました。
しかし、現状では教員には、こうした「語り部」としての役割の比重が高まっていると言えるでしょう。
教員の「質」は「その学校に対する適性」を含む
現代の進学校における教員の「質」に関してはもちろん様々な指標がありますが、その中の一つ(しかも大きな要素として)に「その学校に対する適性」を入れる必要があるでしょう。
学校の校風は様々で、自主独立なのか、管理的なのか、どちらが正解とも言えません。
生徒は進学実績だけでなく、そうした校風を選んで学校を選択しますが、教員にもまた、こうしたマッチングが強く求められています。
しかも、学校が描く校風とはまた異なる、生徒が継承する文化との相性が問われることになります。
超進学校の多く、そして実績を維持し続けている学校の多くはこうした生徒が作り上げた文化が必ず存在し、その継承が上手くなされているように感じます。(あくまでも個人の感想です)
こう考えれば教員の授業力には左右されないが、逆説的に超進学校には「質」の高い教員が多いと言えるのかもしれません。