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「修学旅行」という形式と現代社会におけるミスマッチ
修学旅行の是非に関する話題がABEMAでニュースになっていました。
5月8日から新型コロナの取り扱いが「5類」に移行することで、多くの学校では本年度からは運動会などの行事を通常通りの再開が計画されているようです。
その中でも再開のインパクトが最も大きなイベントは「修学旅行」でしょう。
「修学旅行」の意義
「修学旅行」の目的とは何でしょうか。
「平素と異なる生活環境の中にあつて見聞を広げ、集団生活のきまりを守り、公衆道徳について望ましい体験を得ることなど」
学校外の遠方、特に文化圏の異なる場所に出かけることで見聞を広げるというのは普段の学校生活の中では得られないものです。
また、他人と寝食を共にする機会の少ない現代っ子にとっては同室で眠るという体験自体が貴重でしょう。
そういった意味では現代においてもその教育的意義自体は存在しています。
団体旅行の必然性の低下
とはいえ、現代の子供たちを見ていると、見聞を広めることに関しての価値は相対的に下がっているようです。
多くの家庭では長期の休暇を利用して家族旅行に出かけているようですし、土日にちょっとした遠出をする家庭もかつてより増えています。
高度成長期以前の旅行という体験自体が稀であった時代とは異なり、個人での旅行という形態はしっかりと市民権を得ており、団体旅行でなければ体験できないということはほとんどありません。
以前書いた記事にもつながりますが、コスト的にも近年は団体旅行の方が高いため費用的なメリットはほとんどなくなっています。
加えて社会に出てからもそうした集団行動をする機会が減少していることを考えると、学生時代の集団旅行体験の必然性は大きく低下しています。
個人の権利、ジェンダー問題
その上、現代の子供は寝室や一人部屋で就寝することが多いため、相部屋で眠ることができない、といったストレスを抱えるケースもあるようです。
さらに着替えや風呂の問題も発生します。
昨今はLGBTに関する啓蒙活動も広がり、生徒も敏感になっています。
(というよりもある程度はそれが自然なのだと思います。)
同性だからという理由だけで同じ部屋で眠り、着替え、風呂まで一緒に入るということへの抵抗感が強い生徒は少なくないということです。
対策としては宿泊先をシングルにするということも考えられますが、100人単位の集団の個室を特定の宿泊施設で賄うことは、費用だけでなく部屋の確保という点においても難しいのが現実です。
アレルギー対応の問題
また、食事を集団で取る場合にも問題が発生します。
アレルギー対応に関して、事前の調査で確認しますが食べられないものを外すなどの個別対応や、場合によっては持ち込みも考慮する必要があります。
こうしたトラブルを避けるために最近は昼食などは各自で別れて取るケースも多く、果たして本来の目的である「集団生活」をどこまで体験できるかは微妙な状況となっています。
「思い出作り」という生徒募集の「売り」
ところが一方で、私立学校においてはこうした「修学旅行」が生徒募集の「売り」ともなっています。
コロナの影響でここ数年は中止になっていましたが、海外研修などを実施し、いわゆる「思い出作り」として志願者を増やす材料としていました。
「修学旅行」の目的はもはや集団生活や見聞を広めるという本来のそれからは離れ、「思い出作り」のよき材料に変質してしまったのです。
形式を変える必要性
とはいえこうした変質を悪いものと認識するのはあまりにも硬直化した思考でしょう。
社会のありようが変化している以上、現実に即して考える必要があるからです。
私個人の感想としては集団行動や団体宿泊などは全く好きではありません。
しかし、学校現場に立っていると、そうした体験のニーズが強いという事実に遭遇する機会は少なくありません。
生徒本人たちからも、保護者からもそうした意見を聞く機会は多いのです。
しかし、旧態依然とした集団宿泊の形はもはや成立しないことは否定できません。
プライバシーやLGBTにも配慮した形での新しい「修学旅行」を模索する必要があるのかもしれません。