見出し画像

【題未定】示談条件の崩壊──法治主義と社会的制裁の狭間で【エッセイ】

 元ジャニーズ事務所の大御所タレントの女性問題のトラブルが年末から話題になっている。この問題自体に関しては個人的にそこまでの関心は無いのだが、示談したが週刊誌に漏れてスキャンダルになったという問題の構造についての雑感と不安に関して話をしたい。

 今回の件に関して某タレントが女性に不埒なことを行ったが、その口留め代金も含めて9000万円の示談金を支払ったと一部報道は伝えている。示談に関する契約事項は不明だが、弁護士が入っていることを考えれば口外無用に関する何らかの契約が結ばれていたことは間違いないだろう。にもかかわらず、何者かによって週刊誌に対してこの情報がリークされたいう。ネット上では本人か、関係者か、あるいは友人か、など様々な憶測が飛んでいる。

 まずもって確認すべきは、某タレントの所業に関してこれが事実であるとすればそれは糾弾されるべき事案であり、弁護の余地はない、ということである。この記事においてこのスタンスは前提条件である。

 一方で口外をした関係者あるいは友人に関しての責任も非常に重い。正確には友人であった場合、その人物は責任を問われなくとも、その友人に漏らしたという一点において本人、関係者は責任を問われることになるだろう。

 今回の事案の場合、おそらく9000万円の示談金の一部もしくは全額の返金が必要になるはずだ。とはいえ某タレントのイメージ毀損はその金額で賄えるものではなく、事実に相違なければ彼が芸能界を去る可能性は極めて高いだろう。

 正直なところ某タレントの今後に関しては何の感慨もない。彼を好きなわけでも、彼の番組を好んで見ていたわけでもない。ただ一点、恐るるべきは今回のような示談条件をご破算にして、社会的制裁を加えることが是であるという認識が日本の社会に浸透してしまうことだ。

 確かに示談によって金で貧しい人間を黙らせるというのはフェアな手段であるとは言い難い。今回の被害者に関してもその点では同情を禁じ得ない。しかし示談に納得できなければ、その場で民事訴訟(今回の場合は刑事訴訟にもなり得る)を行って事実を公表すればよいのだ。仮に社会的制裁を行うのであれば初めからそのスタンスで臨むのが筋であろう。金を受け取って、その後社会的制裁のために示談条件を破るのはあまりにも不公正ではないだろうか。

 そして実はこの行為によってより甚大な被害を受ける可能性があるのは、金で示談をする上流層ではなく、金で黙るはずだった庶民である。

 これまでは金で解決するために、上流層は金を支払ってきた。ところが金を支払っても名誉に傷がつくとなった場合、彼らはどうするだろうか。彼らの取るべき道は聖人君子としてそうした行動を慎むか、あるいは被害や犯罪そのものが無かったことにするか、という二択だろう。どうして前者が大勢を占めると考えられるであろうか。おそらくは弱い側が実質的に「黙る」ことを余儀なくされるだけなのではないだろうか。

 法治主義、法の支配という制度は決して権力者を有利にする考え方ではない。これらは金や力のない人々の権利を可能な限り保護するための制度である。お気持ちで制裁を加えることを容認する社会にとって、最も餌食となりやすいのは上流層ではなく、金も権力もない庶民なのだ。

 SNSでは社会的制裁が行われることで権力者を牽制できる、これこそが社会正義だ、という声も大きい。しかしその先に待つのはパワーゲームであり、それをどうして弱者側が制することができるのであろうか。ルールや規則を軽視すれば、暴力を武器とする反社会的勢力や無法者を利することにしかならないだろう。

 暴力を解決手段として考える社会とは、ホッブズの語った「万人の万人に対する闘争」状態の呼び戻しである。さらにその先には圧政とテロリズムの応酬しか見えてはこないだろう。

 繰り返しになるが、今回のような事案において(事実とすれば)某タレントの責任は重い。しかし一方で多額の示談金で示談していたにもかかわらず週刊誌にリークをした、漏れたという事実も決して軽視してはならない。真の社会正義とは公正な法律と契約に基づいて行われるべきである。少なくとも今回の事案は双方がその理想から逸脱していたように見えてならないのだ。

いいなと思ったら応援しよう!