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【題未定】加齢臭との付き合い方:香水と自己認識の変化【エッセイ】

 最近、香水をつける習慣が定着している。それこそここ2、3年のことだ。それまでは香水や香りをつける意味が理解できなかった。むしろ人工的な香料に苦手意識を感じていたくらいだからだ。

 ところが数年前ぐらいから意識が変化してきた。何か劇的な変化やイベントが存在するわけではないが、自身の臭いが気になるようになったからだろう。40歳を迎えるぐらいの時期から、いわゆる「加齢臭」というものが自分から発せられているのではないかという不安が頭をもたげてきたのだ。

 とはいえ気にし過ぎるのも問題である。香水を使いすぎれば逆に臭いが周囲の迷惑になる。飲食店などでの過度な香水はスメルハラスメントの典型的な例だろう。したがって臭いに気を使いつつも、使用に際しては適量を心がけることになる。

 香水を使っていると気づくのは、自分の鼻が慣れてしまうことで使用量が無意識に増えていく傾向の存在だ。毎日使用することで、臭いの存在が日常化し、つける段階で過剰使用してしまうようだ。そのため毎朝、決まった量、プッシュ回数や使用する場所を固定することが重要となる。

 それと同時に歯磨きや洗髪、入浴などの際にも神経を使うようになった。歯磨きは毎食後行うし、リステリンなどのマウスウォッシュも可能な限り使用している。また入浴時には耳の裏などまで丁寧に洗うように心がけている。また汗をかいた際に着替えをこまめにしたり無理のない範囲で周囲の迷惑にならないように気を使っているつもりだ。「中年男性だから臭い」と他者に感じられないぐらいの気遣いをしたいとは思うのだ。

 「おじさんは臭い」というのは立派な差別発言であり、公的に発するべき言葉ではない。しかし、中年以上の男性の体臭が強い傾向が存在するのも事実だ。私自身、若い時分に大人の男性の体臭に対して不快感を感じていた経験は少なくない。高校時代の教員のタバコとコーヒーの混ざった臭いに気分が悪くなったことは一度や二度ではない。MG5のポマードやオーデコロンの臭いは「おじさん臭」として今でも記憶に残っている。

 体臭や身なりに気を使うことは、自分の主観的な視点だけでなく客観的な視点で自身を見直すことに繋がる行為だ。特に年齢を重ねるごとに他者の視点や意見を受け入れにくくなり、頑迷になりがちなのが人間だ。そうした意味では気にするようになった変化自体は自身にとって悪いものではないと感じている。

 一方でそうしたことに過度に気を使うことも問題である。事実、自己臭恐怖症といった症例名も存在する。まあ私には縁遠いものであるだろうが、コストや意識を外面に囚われすぎることも問題ではあるだろう。

 最近は香水を選ぶ楽しみというものを感じるようになった。どんな香りを使えば、自分をどう演出できるか、あるいはどんな自分でありたいかを考えることにもなり、それは自身の内面に目を向けるきっかけともなるだろう。

 今使用している香水も残り少なくなってきた。どうやらこの銘柄は製造中止により廃番となるようだ。次の候補を探すか、あるいはまだ流通しているものを購入するか、面倒だが楽しい悩みを抱えることにするとしよう。

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