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現行の入試制度では公立高校と特別支援学校の一体化は絵に描いた餅にしかならない
インクルーシブ教育
インクルーシブ教育の推進が叫ばれて久しくなりますが、日本においては一向に進んでいないように思います。
そんな中で、国際都市東京が高校教育におけるインクルーシブ教育推進の方向性を打ち出しました。
はたしてこの政策がどの程度実効性があるのか、私には疑問です。
兵庫県立阪神昆陽高校の事例
記事内では参考事例として兵庫県の阪神昆陽高校を上げています。
しかしながら、この阪神昆陽高校がモデルとしてふさわしいかどうかはかなり微妙です。
働きながら学ぶ生徒や中途退学者の再チャレンジ、自分のペースで学びたい生徒など、幅広いニーズを持つ生徒が、それぞれの興味・関心等に応じて主体的に学ぶことができる多部制単位制(定時制)の単位制高校です。
引用元にもあるように、多部制の単位制、入試の倍率は1倍のほぼ全入、入学偏差値は40を切っています。
もちろんこうした学校の存在意義や教育活動に関しては十分な価値があります。
この学校は明らかに現行教育制度に不適合な生徒をフォローする学校であり、だからこそ支援学校との連携に相性が良く、インクルーシブ教育のモデルともなっているのでしょう。
しかしそれが全体的な教育施策として採用可能かというと実際にはかなり難しいのではないでしょうか。
入試はインクルーシブとは真逆の制度
現行の入試制度は得点や偏差値で輪切りをすることで、入学者の学校制度への適応力やペーパー試験の学力の均質化を行うシステムです。
つまり、多様性を排除することで教育の効率化を図るシステムであるといえます。
一方でインクルーシブ教育とはそれぞれの多様性を尊重し、受け入れお互いが尊重するような教育環境を構築することが目的とするものです。
すなわち、現行の入試制度で高等学校の入学者を選抜する限りにおいてはインクルーシブ教育は実現不可能ということです。
地方の入試が形骸化した学校などでもない限り、あるいは一部の定時制や単位制学校でしかこうした施策は意味をなさず、表面上の人権教育を外部向けにアピールするプレゼンテーションの場にしかならないでしょう。
どちらが正しいではない
現行の入試制度を全肯定するつもりはありませんし、問題を抱えたシステムでもあります。
しかし日本の教育制度や受験事情の中で最適化されてきた仕組みであり、ある種の合理性を持つ制度であるのも事実です。
一方で国際的な潮流に合わせたインクルーシブ教育の推進に関しても、次世代に向けた道徳観や社会意識の涵養といった必要性は否定できるものではないし、そうした教育が求められている事情も十分にわかります。
どちらが正しいというわけではないでしょうが、少なくともインクルーシブ教育の実現を考えるならば、現行の入試制度やこれまでの教育慣行の多くをあきらめるのは必然でしょう。
現行入試制度とインクルーシブ教育、それらの根本に存在する思想があまりにも真逆であるため、現行制度の中にインクルーシブ教育を根付かせることは不可能なのではないか、と思うのです。