半径100メートルのトップをねらえ
noteの記事を読んでいて、とてもうなずける内容があったので、シェアと自身の考えを補足してまとめてみたいと思います。
元記事の概要
元記事はコピーライターの方が書かれたものなのですが、概要としては以下のようなものです。
大したことない自分が、世界に向けてこんな偉そうなことを言っていいのだろうか?
という、記事や創作活動などクリエイティブな活動をしていると最初にぶち当たる壁に関する回答を明示する内容です。
筆者はこの問いに対して、終始「大丈夫、あなたの情報を求めている人がいますよ」という寄り添った励ましと、「だからこそ、まずは活動をしてその上でスキルを高めよう」という啓蒙の二段構えの構成で読者を導く記事となっています。
世界中で、「上には上がいる」
この記事に関してはまさにその通りだと思います。
上を見る限りは必ず上が存在します。
私を含む多くの、というよりもほぼすべての人は小中高大とトップだった記憶はありません。(ある方が羨ましいです)
全国模試や全国レベルの検定でトップを取ったり、最年少記録や世界新記録を打ち立てた経験など一度もないはずです。
就職し、仕事を初めても同様です。
全国トップの売り上げの営業マン、ゴッドハンドと呼ばれる神業の医師、常勝無敗の弁護士、ベストセラーしか書かない小説家、そんな人はどれだけ世の中にいるでしょうか。
どんな職種についてもトップだと胸を張れる人などほとんどいません。
言ってしまえば、世の人々の99%は皆、有象無象の類でしかないのです。
だからこそ、大多数を占める中途半端な人たちが、自分よりも少しだけ「まし」かもしれない中途半端な人の言葉を必要とするというロジックは頷ける内容でした。
そして、そこから私が得た結論は、もはやトップを目指すべきではない、ということです。
インターネットは世界を狭くした
インターネットとスマートフォンの普及により、世界は狭くなりました。
多くの人たちが世界レベルの達人や超人と直接つながることができるようになったのです。
当然、仕事や業務をトップレベルの人に頼むということも可能になりました。
動画や音、文章などのコンテンツ作成だけでなく、インストラクトやコーチング、教育、代理人などあらゆる分野でトップレベルの人へのアクセスが可能になったのです。
(それまでは、繋がる前段階に何らかの「伝手」が必ず必要でした)
しかし、同時にトップレベルの人たちは自分の特異性以外のノウハウを公開する方向に動きました。
自分というブランドで稼げる人々は、それ以外の部分を公開することに躊躇しないだけでなく、そのノウハウ自体がコンテンツとして価値を持つからです。
その結果、知識的な優位さを失った二番手層と三番手以下の層の差は縮まり、トップのみが独走する世界になった、と私は考えています。
上の記事は私が1年ほど前に上記と関連する内容を書いたものですが、まさにその流れが進んでいるのをこの1年でさらに感じています。
だからこそ半径100メートルで勝負しよう
トップレベルの人だけが突出し、それ以外がフラット化する世界への移行は徐々に、そして加速しています。
だからこそ、もう頂上を向いて、上へ上へトップを目指すことはあまりにも現実的ではない、ということを再度主張したいと思うのです。
大事なのは、自分の領分に応じた努力とスキルアップを行い、自分の目と手の届く範囲=半径100メートル(物理的な意味ではない)で選ばれる力を身に着けるべきだ、ということです。
トップ争いはこれまでのトップと、いまだ幻想から離れられない準トップでレッドオーシャンと化しています。
一方で、地域や自分の周辺にはそうしたスキルを必要とする場所が存在し続けています。
むしろ、ノウハウがオープン化されたことにより自前で調達できるところは行い、部分部分での調達という需要というのが増えています。
10秒のPVを取りたい、サウンドロゴだけ、カットイラストだけ、キャッチコピーだけ、表紙のみ作成してほしい、そしてそうしたスキルが実際に市場で取引をされるようになっています。
私の関わる業界でも、数学のこの部分だけ教えてほしい、学習管理だけしてほしい、などなどそうした需要は以前の比ではありません。
半径100メートルのトップならば、私のような凡人にもどうにかなりそうな気がするのです。目指す価値はありそうです。
鶏口牛後、この言葉は文明の発展とともに拡張した世界が、ネットによって狭まりつつある現代にこそ当てはまるのかもしれません。