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【題未定】教員という学びに隣接した職業――数学教師が古典『伊勢物語』に遊ぶ【エッセイ】

 教員という職業上、個人的に学ぶという行為は決して嫌いではない。むしろ好きな方だろう。とはいえ日本社会における大人が「学び」に対して前向きかというと決してそんなことはないだろう。

 そもそも学ぶこと自体をしていないという人も少なくないだろうし、仮にやっていたとしても職業上仕方なくというケースも多々あると聞く。とはいえ「学び」という言葉の定義は広く曖昧だ。新しいことを知ることすべてを「学び」と捉えれば、どれもこれも「学び」にカテゴライズされることもあるだろう。

 学生時代に学ぶことが嫌いだったという話はよく聞く。おそらくはそれが誰か、周囲の大人や所属する社会、環境に強制されてのものであったためかもしれない。そうしたことから離れ、「学び」という行為、行動そのものに焦点を当てれば学ぶということはいつになっても楽しいものだと気づく。

 私の最近の学びは『伊勢物語』に関してだ。本を読んだりして漠然と興味を持っていたタイミングで、クラスの生徒の試験範囲がその単元に入っていたという偶然があるかもしれない。

 『伊勢物語』とは、平安時代に成立した日本の歌物語である。ある「男」(=在原業平と言われている)を主人公として、彼を中心に平安貴族の生活や恋愛などの様子が描かれている短編歌物語集である。主人公の名前は明らかにされないが、おそらくは在原業平をモデルとしていると言われている。具体的な成立年代や作者も不明である。『竹取物語』と並ぶ仮名文学の代表作で現存する日本の歌物語中最古の作品である。

 この作品中の歌が非常に面白い。もちろん教科書的な読み方をしても十分に味があるのだが、深読みをするとさらに面白いというものである。では具体的に歌を見ていこう。

世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
訳:もしも世の中に、全く桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう。

 上記は春や桜の罪深さを歌った歌で、惟喬親王の狩の供をした後、渚の院の酒宴で詠んだ歌とされている。しかしこの歌の背景を考えるとまた別の景色が見えてくる。

 この当時は文徳天皇の治世で、第1皇子である惟喬親王、第4皇子で生まれてすぐに立太子となる惟仁親王の後継者争いが存在していた。惟喬親王の母は紀名虎の娘、一方惟仁親王の母は藤原良房(人臣初の摂政)の娘、明子。加えてこの時期は藤原氏と紀氏の権力争いから藤原氏が一歩抜け出している状況であったという。

 当然ながら外戚の権力の違いは明らかで、惟仁親王は9歳で清和天皇として即位をする。この歌が詠まれた時期は不明だが、ここまを踏まえると以下のように読んでもよいだろう。

意訳:世の中に桜(=藤原氏、明子)というものがなかったなら、春(春宮、長子=惟喬親王)の心はどれほどのどかであったでしょうか。

 もちろんこうした読みを邪推と考える向きもあるだろう。しかし在原業平は六歌仙に選ばれるほどの歌人、平安時代のインテリの代表のような存在である。しかも「言霊」を強く意識する当時の文化を考慮すればこうした含意があったとしてもおかしくはないのではないだろう。

 残念ながら私は古典の専門家でもないため真偽は判定不可能であり、あくまでも「解釈」のレベルの話だ。とはいえこうした「学び」は生活に刺激を与えてくれる遊びではないだろうか。

 教員という職業はこうした「学び」に触れる機会の多い職場だ。生徒の学びを追体験することで、かつてやり過ごしてしまった貴重な「学び」に触れることができるのは教員という職業の面白さの一つなのかもしれない。

 これが魅力的だから教員をお勧めします、と教員志望の若者に宣伝するつもりはない。向き不向きのはっきりした職業でもあるだろう。また、職務時間中に学ぶわけでもなく、あくまでも余暇で楽しむ行為の一つでしかない。だがこうした「学び」に興味がある人にこそ教員という仕事は魅力的ではないか、とも思うのだ。

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