小学校の健康診断で脱衣を拒否するのならば、自費で診断を受けることを選択するべき
小学校の健康診断の脱衣問題
数年前から小学校などにおける健康診断において、児童に脱衣をさせるべきか否かがたびたび議論となっています。
ここ最近も横浜市の小学校でトラブルが発生し、このネタがX上で話題になっています。
この問題について私見を述べたいと思います。
盗撮医師逮捕による不満の顕在化
この手の話は私が子供のころからも存在し、不満を言う女子児童、生徒はいたように記憶しています。とはいえ医療行為である以上、仕方ないという空気感はありました。
なによりも、この手の不満を家に帰って口にしたとして、多くの家庭では親から叱られるのが関の山だったのではないでしょうか。
昨今は子供の気持ちに対しセンシティブな反応をする家庭も少なくない上に、現実にトラブルになったことから着衣派の声が大きくなったように感じます。
2022年に学校健診中に女子生徒を盗撮した医師の逮捕は潮目が変わった大きな原因でしょう。
着衣で正確な診察は可能か
まずこの問題を議論する前段階として考えなければならないのは着衣状態で正確な診断が可能か、ということです。
これに関して、私の調べた限り、あるいは知人の医師などの医療関係者に聞く限りにおいて、「着衣状態は脱衣状態よりも診断において正確性を欠く」という声が大半でした。
まとめると以下のような内容になります。
身体の変化、脊柱側弯症などを視覚的に判断しにくい。
皮膚の異常(発疹、色素沈着、腫瘤など)の確認や虐待痕などの発見が困難。
触診の制限により内臓の異常や腫瘤を判断ができない。
聴診が制限されるため心雑音などの異常音が減衰されて聞こえにくい。
医師によっては医療器具の進歩で対応できる、という回答も存在するようです。しかしそれは病院内などの設備が整っている場合であって、学校健診を行う会場の明るさ、何十人も子供が待機している環境を考慮すれば病院内と同じように実施するのは難しいのではないでしょうか。
文科省の指針が金科玉条となっている
では学校現場を統括する文科省はどのような立場なのでしょうか。
文科省はこの件に関して生徒、児童のプライバシーに配慮した実施を行うよう以下のように通知しています。
この通知が着衣派の人たちの金科玉条となって反対の根拠となっているようです。
文科省としてもあくまでも学校保健安全法上の義務として実施しているだけで正確性を担保するものではないという立場なのかもしれません。
脱衣が嫌ならば自費で健診を受けるべき
この事案に関しての個人的な感想としては、正確な健診を期待するのならば脱衣で受診すべきということです。これは感情論ではなく、科学的に考えて脱衣状態の方が健診を受ける理想的な状態であるのは否定しようのない事実だからです。
仮に自分が保護者の立場だった場合を考えると、恥ずかしいと子供が嫌がる場合は医療として必要のあることで我慢するように子供を説得すると思います。
では、子供の嫌悪感が極めて高かったり、保護者が反対をしているようなケースはどうでしょうか。この場合、正確な診断結果を求めるのならばもはや学校健診を拒否し、自費で納得のいく環境で健診を受けるべきです。
そして、もしそうした家庭が学校受診を希望する場合には診断が不正確である可能性や、それによって不利益を被ることを受容する旨の念書に一筆もらう必要もあるのではないでしょうか。
健診を引き受ける医師はいなくなる
そもそもこの学校健診自体、学校がサービスでやっているようなものです。担当する医師においてはクリニックを休業したり、休診日にほぼボランティアとして行っている業務です。不満があれば費用を負担してでも別の場所に行くべきでしょう。
もちろんプライバシーカーテンの設置や女性医師(では女性医師は男子を見るのはどうなのか、LGBTへの配慮はどうなのか)への依頼という改善策は考えられます。しかし今回の事例は医師の前で裸になることへの抵抗が主問題ですし、また女性医師の数を考えれば現実的ではないのは明らかです。
何よりも地域医療や公衆衛生に寄与すればこそ、と協力をいただいている医師の方を痴漢、変態扱いにひとくくりにする姿勢はあまりにも失礼です。子供がそう感じるならまだしも、親がそうした見方をするのはあまりにも不見識ではないでしょうか。
仮に着衣状態の不確かな健診で病気の発見が遅れた場合、学校や医師の責任を問うような状況があってはならないでしょう。その状況が放置されれば、学校健診を引き受けるようなもの好きな医師は1人もいなくなるはずです。
そしてその状況になったときに本当に困るのは貧困層の子供や虐待を受ける子供など、社会的に弱い立場の人たちです。そうした人たちを救うセーフティーネットとしての観点からも、こうした健診への安易な批判に組してはいけないのではないでしょうか。