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誰でも教育を語ることができるがゆえにピントのずれた議論が跋扈する~産経社説に見る、門外漢が大上段から教育を語る滑稽さ~
令和5年4月9日の産経新聞の社説が何ともピントのずれた話だったので記事にしたいと思います。
「教科書デジタル化 活用する指導力問われる」と題して、ICT導入に対しての教員の指導法やその活用に関しての苦言を呈するという内容です。
この記事の内容がまさに教育関係以外の人の典型的な考え方、特に産経読者層に多い保守層の視点から見た現代教育の問題点であり、現場支店との大きな齟齬を端的に示しているように感じたので紹介したいと思います。
昭和の学校観、授業観のままの指摘
新課程においては、QRコードが教科書に記載されており、それを読み取ることで関連動画や資料のリンクになっているという仕組みが導入されています。
教員からは、ただでさえ授業時間内に教科書の内容を教えきれないとの声がある。QRコードが宝の持ち腐れにならないか。
自宅学習で活用するとしても、肝心の授業がおもしろくなければ、子供たちはその先を学びたいという気にはならないだろう。教員が豊富な知識、教養をもとに、いかに子供たちの心を捉える授業をするか、指導力にかかっていることを忘れてはならない。
そもそも教えきれないことは時数不足や行事の増加、雑務の増加による業務の圧迫が原因であって、QRコードの関連資料が増えたからではありません。
これまで関連資料は教員側の手元にしかないことがほとんどで、生徒に共有する場合は別に準備をする必要がありました。
しかし、QRコードを利用することで生徒側が自分でアクセス可能になり、実質的には教員側の負担を減らすことになりました。したがってQRコードで教えることが増えるというのは大きな間違い、あるいは勘違いでしょう。
そしてそれに続く文章が、「いかに子供たちの心をとらえる授業をするか」という消費者意識の塊の一文です。
もちろん、教員側が教育スキルを高めることは業務上の義務であるのは間違いありません。
しかし「その先を学びたいという気にならない」のは授業のせいではなく、本人の問題です。それこそ関連動画まで見ることがすぐにできる教材を持っているのだから、興味があれば能動的に調べればよいのです。
そしてそうした個別的な学びをサポートする仕組みこそが現代の教育における課題であって、高い教壇の上から生徒の心を震わせる授業を日本中の教員に期待することは無理難題の類と言えるのではないでしょうか。
アナログ礼賛主義
さらに次の一文がさらに笑いを誘います。
デジタル画面より、紙の活字の方が文章を熟読し、理解を深めるのに適しているとの指摘もある。理科の実験を例にしても、動画は一時の興味を引いたとしても、見ただけでは理解は深まらない。失敗など実体験を通してこそ身に付くこともある。
結局は動画のようなデジタルではなく、アナログな体験を重視すべきというお題目を言いたいのでしょう。
こうした実験動画の活用は、すべての実験を現実にはすることが難しい事情で行われています。
現時点においても、定番の実験や準備に負担がかからないものは十分に行われているのです。
仮にそれが出来ていないのであれば、それは専科教員や実習助手の不足であり、教育行政の問題であって現場教員の問題ではありません。
理科教員で実験をしたがらない人を私は見たことがありません。彼らは時間の不足で実験できないことを悔やんでいるようなタイプの人達です。
現代の子供たちは幼いころからスマートフォンなど情報端末に頼りすぎる傾向もある。教員はデジタル化の長所、短所を自ら理解し、指導にあたってほしい。
結びの一文を見ればわかるように、結局は情報端末を使って楽をするな、アナログな古き良き教育を思い出せ、ということなのでしょう。
誰でも語れるがゆえに、自分の思い込みや価値観で語りがち
こうした思い込みや価値観で教育を語る人は少なくありません。
場末のどの酒場でも、自称現代のデュルケームやデューイたちが喧々諤々の議論をしているところを見れば、教育を語るというのは自身の体験を踏まえた内容となるので語りやすいトピックなのかもしれません。
それが酒の席や床屋談義であれば笑い話で済みますが、報道機関の社説でそれをすることはいかがなものなのか、とは感じます。
とはいえ、こうした勘違いを発信してくれることで世の中の教育業界に関する理解不足が顕在化することに価値があるのかもしれません。
ちなみに、私は産経新聞に対して思想的に反目する立場というわけではありません。是々非々で捉えるように心がけているだけということは補足しておきます。