教員採用試験の受験の有無で実習の受け入れ可否を決める思い上がり
愛知県と名古屋市の教育委員会
愛知県及び名古屋市の教育委員会は学生の教育実習受け入れ時に“採用試験受ける意思の有無”回答させていたことがニュースになっています。
愛知県はすでに取りやめているとのことですが、名古屋市は現在も継続中のようです。
教員不足が叫ばれる昨今において、採用試験を受験しなければ教育実習を受けさせないとは上から目線の横暴なふるまいというだけでなく、潜在的な教員を減らすという自身のあるいは教育業界全体の首を絞める行為を行っていたということになります。
そもそも昨今の教員不足の大きな原因は教員の労働環境の悪化にも関わらず待遇改善がなされない常勤講師のなり手の不足だと言われています。
年次契約で継続性もなく、同一労働同一賃金という労働者の基本的な権利、原則から大きくかけ離れた処遇が労働者に忌避されているために、産休、病休代替職員の不足に繋がってるのです。
教育委員会が教員を選別する時代が終わりを告げようとしているのに、旧態依然とした考え方が組織の内部にはびこっていることが表出したということでしょう。
私立学校の存在を忘れていないか
そもそも、教員免許取得者が自治体の教員採用試験を受ける必要は一切ありません。
教員免許を取得した上で別の職業に就くケースも存在しますし、私立学校の勤務を最初から希望している可能性も存在します。
結局のところ、教育委員会なる組織の人間の大半が教育=公立学校という固定観念に囚われて、狭い視野でしか物事を捉えていないということなのでしょう。
現場教員の勘違い
Yahoo!のコメント欄やXにはこのニュースに対して現場教員の愚かなコメントも流れています。
ネット上だけでなく、現場の肌感覚としても教員の中にはこうした考えをしている人も一定数存在しているようです。
確かに忙しい業務に加えて実習生の面倒を見るというのは過重労働になるでしょう。しかし、それは次世代の教育を支える人材の育成を行う上で不可欠な業務です。
実習生が来なければ教員免許の保持者はますます減少し、教育を支える人材が枯渇するのは目に見えています。
多様性の無い近視眼的思考
当然ながら目の前の実習生が自分の働く環境で教員となるとは限りません。
他の自治体や私学、あるいは民間の教育産業に従事する可能性もあります。しかし、そうした多種多様な人材を免許保持者としてプールしておくことで学校という組織は成立しているということを忘れてはなりません。
加えて、インクルーシブやダイバーシティといった「多様性」を重視する世界の潮流の中で、教員にならない者は実習に来るな、採用試験を受けない者は免許を取得するな、という考え方はあまりにも近視眼的で短慮ではないでしょうか。
もちろん通常の業務に上乗せする形で実習生を受け入れる以上、担当教員に対して特別手当などを出すべきでしょうし、受け入れ態勢に関しても業務軽減期間を作るなどを考える必要があるでしょう。
しかし、それは学校の管理者が考えるべきであり、その要望は教育委員会や設置者に出すべきであって、実習生にその責や不利益を負わせるべきではないはずです。
教育業界に蔓延る旧態依然とした不文律
どうやら教育業界、学校教員の世界には成文化した明確なルールとは別に習慣的な不文律が数多く存在するようです。
研究授業の指導案や指導要録の書き方などそうした例を上げれば枚挙に暇がありません。
今回の教育実習の採用試験縛りもそうした旧態依然とした不文律の一つなのでしょう。
しかし、こうした不文律が教育業界の閉鎖的な空気感を醸成する原因になっているのも事実です。(これは日本のあらゆる業界において言えることかもしれませんが)
今回の教育実習の縛りに関しては、まずは教員一人ひとりが次世代の教員を育てている、その環境を整備する意識を強く持つ必要があると再認識しました。