見出し画像

【題未定】病院の待ち時間と『お客様対応』の錯覚【エッセイ】

 病院を受診予約したのに長時間待たされたという不満をつぶやいているSNSを先日見かけることがあった。それに連なるポストでも予約が意味無い、待たせるぐらいなら予約制度なんてやめてしまえ、という心無い言葉を投げた投稿が複数存在した。

 こうした待ち時間に対する不満は、気持ちとしては分からないわけではない。病院に行くという状況を考えると体調が悪く精神的にも不安定な状況だろう。場合によっては意識が朦朧としているケースもあるだろう。時間通りに診察を受けられないというのは不満であると同時に不安でもあるだろう。

 子供を持つようになるとその気持ちは尚更かもしれない。自分ならばとりあえず我慢するなり、寝ておけばそのうち時間が経つ。しかし子供の体調が悪い場合はそれで片付くものではない。待合室で呼び出しを待つあの不安感はどうにも耐えがたいと誰しもが感じるのではないだろうか。

 しかし中立な立場から言えば、病院の予約したにもかかわらず待ち時間が存在するという状況はどうにも仕方がない側面がある。病院、医師には応召義務が存在する。医師法第19条第1項では以下のようにある。

診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

医師法第19条第1項

 医師は患者の診察要求を正当な理由なく拒むことができない。したがって病院に来院した以上、その患者に対しては責任を持つことになる。さらに受診する患者には様々な症状が存在する。重篤な物から、軽微なものまで多種多様だ。当然ながら命に係わるような症状の患者が来た場合、優先して診察をする上に、症状によっても処置時間には差が出てしまうだろう。あるいは感染リスクの高い患者を隔離し優先順位を入れ替えるということも考えられるのだ。

 つまるところ、事前の予約通りの順番、時間に診察を受けることができないというのが前提で予約制度は成立している。病院の予約制度はあくまでもその日当日に診察を受けることができるという席の確保程度のものであると考えるべきなのだ。

 昨今は医療業界において「お客様対応」を求める人間が増えている。「患者様」などという呼び方はそうしたお客様然とした患者をますます増長させるものだろう。そうした流れからの反発からか、最近は「患者さん」という呼称へ戻す動きもあるようだ。こうした流れは歓迎すべきものだ。医療は患者の治す意思と行動を医療者がサポートするものである。一方的に誰かからサービスを受け取るような類のものではない。

 これは私が関わる教育業界においても同様だ。教える相手は「生徒様」ではないし、その親を「保護者様」と呼ぶのは筋違いである。生徒の教育に向けて協力をするチームメイトであって、一方的に給仕するような性質の関係ではないのだ。

 そしてそれは私立学校においても変わらない。私立学校は「学校」であり、公的な存在である。そのため多額の助成金という税金によってその運営を補助されているし、教育課程やカリキュラムなども公立のそれと変わりはしないのだ。

 昨今は「お客様扱い」を受けないことに不満を漏らす人間が多い。確かに役場などでたらい回しにされることを経験すると、民間サービスを見習うべきだと思う気持ちが湧くのも分からないではない。学校の杓子定規な対応もそう感じさせる要因の一つかもしれない。

 しかし、こうした医療や教育などは公的サービスであり、インフラである。それは社会全体を支えるための仕事であり、決して個人の満足度を最大化させるためだけに存在しているわけではない。ともすれば私自身を含めて誰しもがもこうした公的サービスに不満を抱いてしまうことがある。その不満が社会全体にマイナスとなるものならば正当性は存在するが、個人の不満程度であれば、SNS上にむやみやたらに文句を書き散らすべきではないだろう。

 そうした振る舞いは自らの不明と不寛容、そして不見識を開陳するだけの行為であると深く自戒したいところだ。

いいなと思ったら応援しよう!