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【題未定】悠仁親王殿下への嫉妬と日本の歪み:赤門信仰者たちの滑稽さ【エッセイ】

 先日、悠仁親王殿下が筑波大学の推薦入試合格が報道された。この結果に関しては個人的には非常に喜ばしいことだと思う。かねてから噂されていた東京大学(三流週刊誌が勝手に囃し立てていただけなのだが)ではなく、研究機関として偏差値の輪切りからある種隔絶された筑波大学を進学先とされたのは非常に良い選択だったのではないかと個人的には考えている。

 アンチ達のSNSや各種報道機関では論外の愚見や三文記事で話題となっているようだ。いわく東大を諦めた、コネ、忖度、出来レースと不敬極まりない言説と醜悪な嫉妬心でもはや現代の汚物貯蔵庫の様相を呈している。

 まずもってこの受験の結果に関して個人的見解を述べるならば、極めて妥当な結果であろうと思う。なぜならば、悠仁親王殿下は国立科学博物館の清拓哉氏と共同で学術論文を発表するなど高校生としては抜きんでた成果を残しているからだ。

 もちろんこの論文が皇族であるからこそ可能であったという意見は決して間違いではない。しかし、では小学校からお受験塾に通っていた東大生はその家庭の経済力なしに合格が本当に可能だったのだろうか。おそらくはその環境に生まれたからこその既得権の恩恵によってその立場に存するに過ぎない人間が大半だろう。もちろんそうした人たちが環境に加えて努力をしたことは否定するまでもないが、では逆にどうして悠仁親王殿下が努力をしていないと批判できるだろうか。少なくとSNSや週刊誌で無責任な言説を垂れ流す不敬人達がその内情を知るはずはないだろう。

 以前「赤門ネットワーク」なる不敬かつ不埒、不遜、偏差値至上主義の偏執狂に対する批判を記事として書いた。

彼らは今回の悠仁親王殿下の受験の結果をどのように見ているのだろうか。この愚かな行動と言説を恥じているのか、あるいは聖なる赤門がコネクションと権力によって汚されなかったことに祝杯をあげているのか、大いに興味深い。

 今回の悠仁親王殿下が合格した「推薦」型選抜を学力不足の人間をねじ込む裏口入試と考える人は決して少なくない。「赤門ネットワーク」なる不敬人達は言うまでもないが、市井の人々にもそうした認識を持つ人は一定数存在するだろう。しかしこの「推薦」型選抜とは高校時代の実績や今後の研究への期待をもとに合否を下す試験である。現時点でのペーパー試験の学力だけを基準に選抜を行う一般入試とは全く異なる思想に基づいて設計されたものなのだ。

 仮に批判をしたいのならば、「推薦」型選抜で合格した人々のために大学の研究力が落ちた場合にその事実をもって行うべきだろう。偏差値が下がったことをもって批判の対象とすること自体があまりに愚かな行為である。そもそもそうした基準が研究とは異なる指標であるという考えをもとに行われている入試である。高校時代の一時的な学力、記憶力の能力差を拡大解釈し、人間の価値であると認識することは恥ずべき振る舞いであること自覚すべきであろう。

 確認すべきことでもないが、今後悠仁親王殿下がどのような実績を残すか、あるいは問題を起こすかは誰にも分からない。しかし少なくとも今回の合格をもって批判をすべき部分は何一つ存在しない。そもそも日本で唯一の1000年以上続く祭祀の家系の継承者という時点で、筑波大学という研究大学が興味を持たないはずもないだろう。(殿下の専門とは異なるものだが)不敬な言い方ではあるが、人文科学的には彼は格好の研究対象であることもまた事実なのである。

 これからの大学生活で殿下が何を残すことができるのか誰にも分からないし、その責任や不安を私が考えても意味がない。国民誰しもが知る皇族、皇位継承者である18歳の前途ある若者の進路が決定したことに、今は祝杯を上げたいと思うばかりである。

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