オリジナル短編小説:『見知らぬ声』 5日目
一週間短編小説 -5日目-
公園で楓と再会した翌日、咲子は自宅の部屋でぼんやりと座っていた。楓が最後に残した「ありがとう」という言葉が、彼女の心の中で静かに響いていた。現実とは思えない体験だったが、それでも確かに妹に会ったという感覚は消えない。
咲子は机の引き出しから、古い家族のアルバムを取り出した。ページをめくりながら、彼女は再び幼い頃の記憶を辿った。母と自分が笑顔で写っている写真の数々。その中に楓の存在がないことが、今になって重く心にのしかかってくる。
そして、ふと目に止まったのは、あの一枚の写真。楓と母が写っている、古びた写真だ。咲子はその写真をじっと見つめた。以前は気づかなかったが、楓の表情にはどこか寂しさが漂っているように見えた。
「私はここにいるって、忘れないでって。」
楓の言葉が脳裏に蘇る。妹はずっと、自分の存在を認めてもらうことを求めていたのだろうか。彼女は事故で早くに亡くなり、その後、記憶の中からも消えていった。母がその存在を心の奥底に封じ込めてしまったからだ。
咲子は、もう一度母と向き合う必要があると感じた。楓を救うためではなく、自分自身と母のために。楓を忘れてはならない。彼女の存在を再び家族の記憶に刻み込む必要があった。
その日、咲子は母に声をかけた。
「お母さん、楓の話をもう一度、聞かせてほしい。」
母は驚いた顔をしたが、やがて穏やかに頷いた。リビングのテーブルに座り、二人は静かに話し始めた。
「楓はね、本当に可愛い子だったの。あなたとよく似ていて、でも少しおとなしくて、いつも私のそばにいたのよ。」
母は、まるで失った記憶の断片を集めるかのように、少しずつ楓との思い出を語り始めた。咲子は、そんな母の姿を初めて見る気がした。母もまた、ずっと心の中に閉じ込めていた感情と向き合っていたのだ。
「でも…事故があって、私もどうすればいいかわからなかった。あまりに辛くて、楓のことを忘れることで自分を守ろうとしていたのかもしれない。」
咲子はその言葉を聞き、母の痛みを少しずつ理解し始めた。楓を思い出すことは、母にとって大きな負担だったのだろう。しかし、それでも楓の記憶を封じ込めることは、結果的にさらに深い傷を残してしまったのかもしれない。
「お母さん、もう楓のことを忘れないで。彼女は私たちの大切な家族だよ。」
咲子の言葉に、母は涙を浮かべて頷いた。
「そうね、咲子。もう忘れないわ。ずっと、楓のことを胸に抱いて生きていくわ。」
その瞬間、咲子の中で何かが解けたような気がした。楓の存在は、家族の中で再び認められ、記憶として永遠に残ることになった。咲子自身もまた、妹との絆を感じながら生きていくことを決意した。
その夜、咲子はベッドに横たわりながら、ふと楓の声が聞こえるのではないかと思い、耳を澄ました。しかし、もう電話は鳴らなかった。
楓はもう、咲子に伝えるべきことをすべて伝え終えたのだ。妹の声は咲子の心の中に静かに残り、これからも共に歩んでいく。
「楓、ありがとう。」
そう呟いて、咲子はゆっくりと目を閉じた。風が静かに窓を揺らし、穏やかな眠りが咲子を包み込んでいった。
6日目に続く
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