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教員同僚傷害事件から人の動物性について考える

教員による教員への虐待ともいえる事件、ものすごく凄惨で聞くだけで体調が悪くなるレベルで、私もニュースでみる度に胃が痛くなります。いじめという言葉で誤魔化さずに刑事事件として扱ってほしいものです。

しかし、この加害者となった4人がサイコパスのような特別な人間かというとそうでもないように思います。今回の件は聖職者と言われるべき教員が同僚の教員に対してえげつないいじめをしていたということで話題になっただけで、こういったいじめをされたことがある人はそう少なくないように思います。特に子供の頃にこういういじめに遭ったという人は多いのではないでしょうか。

そもそも弱いものの排除というのは動物は本能的にするものだそうです。つまり、人を含めいじめをする本能というのは生まれ持ったものなのです。だから人生がはじまったばかりといえる子供の時は本能に言動が大きく左右されるためにいじめが起きやすいのはないかと思います。

テレビの人気者さかなくんも著書の中でこのようなことを綴っています。
「いじめとかしないはずの魚を水槽にいれたら1匹いじめられた。いじめられた魚を他の水槽に移しても他の魚がいじめられてしまう。だから狭い空間で集団で暮らすといじめが起きるのではないか。」
魚ですらストレスでいじめをするのだからいじめとはとても動物的な行為といえると思います。

でも動物でもやはり環境によって本能が薄れてます。例えば、ペットの犬と野性の犬では全く違います。どっちが優しい犬かといったらもちろんペットの犬の方が優しいでしょう。これは人にもいえることだと思います。そして、なぜ加害教員がこんないじめをしていたのかとも通じる話ではないかと思います。

犬は躾や人に飼われることによって本能は薄れます。しかし、ペットの犬でも躾されずに放置されていたら本能は残るように思います。きっと人にも噛み付く犬になるでしょう。
それを踏まえ、私は今回の件の加害者4人の教員は生まれもった本能がそのまま残った大人になってしまった人達なのではないかと思います。
加害者4人は人として劣っていたどころか、むしろ優れていた人間だったのではないでしょうか。そもそもいじめとは強い個体が弱い個体を排除する本能であるらしいので、いじめっこの方がいじめをする相手より格上の存在であるのは悲しいけど事実なのだと思います。
(いじめられっ子だった私の体感でもいじめをする子の方が要領がよかったように思います。かといって優秀な人が全員いじめをするわけではありません。優秀な人にはドラえもんの出木杉くんのように優しい人も大勢います。結局は人それぞれということになりますが…)

と、いうことでこれらをまとめると下記のような経緯があってこんな傷害事件が起きてしまったのだと私は考えます。

幼少期から人より格上の立場だった

格上の立場にいたためそのまま本能が強く残った社会人となる

先生という職業の特性上担任として集団の頂点に立つこととなる

自分が一番上にいるということでやりたいことをやれる(当人にとっては自由な環境)

本能は強く残ったまま時は過ぎる

学校という閉鎖的空間の仕事のストレス

ストレスにより本能で後輩の教員という立場の弱い存在を排除しようとする
(環境は変わらないので状況はエスカレートする)

こうしてかいてみるとそんな的外れな仮説ではないような気がします。
教員が同僚の教員に凄惨ないじめをするというショッキングな事件ですが、むしろ学校という閉鎖的な空間が動物がもともと持つ残酷な本能を最大限に引き出してしまったように思います。
つまり、人として優れているが故に本能が薄れるような経験をせずに大人になってしまい教員という立場と学校という環境から本能が暴走してしまったのが今回の事件を起こした加害者4人であるのではないでしょうか。
別に加害者教員を擁護するわけではないですし、4人は犯罪として罪を償ってほしいと思います。が、彼ら4人を特別な存在として扱うのではなく誰もがなり得る存在だと認識することが大切なのだと思います。






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