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「である」調か「ですます」調か。noteとの向き合い方
仕事で依頼されて文章を書くとき、「である」調にするか、「ですます」調にするか、迷うことはほぼありません。媒体によって、決められていることがほとんどだからです。
ではnoteは、どちらで書こうかと、実は試行錯誤しています。
「である」調で書くと、自分の気持ちを率直に表現できるような気がする。「ですます」調で書くと、全体的に柔らかい雰囲気になります。他者に語り掛ける口調になるので、文章と自分の間に、適度な距離を保てるような気も。
noteは、とても自由な場です。
与えられた枠をはみ出さないよう、注意する必要はなくて、枠組みも何もないところで、自分のやりたいように、書いていく。ただそれが、自分にはとても難しいのです。
仕事で文章を書くようになってから、「自由な文章」を書くことが、だんだん難しくなっているような気がします。普段「私」を出さないように書いているから、いざ白紙を渡されると、何をどのように書いていいのか、ためらってしまう。
最近、古賀史健さんのこの本を読みました。
そこに、ライターは「からっぽの存在」であると書いてあって、心から納得したんです。
昔、小説家やエッセイストになりたいと思ったこともありました。
でも「なれない」と決定的に悟ったのは、自分には心から訴えたいことが何もないと気づいたから。
からっぽの私は、人に話を聞くことで満たされ、感動し、それを文章にする仕事をしています。
それならnoteでは、何をどのように書くか。
からっぽでありながらも、自分が見た景色を、ぶつかった壁を、心揺さぶられた出来事を、何とかここに刻んでおきたいと、noteを続けています。そして少しずつ、「自分が」書きたいものに向き合いたいと。
「である」調でも、「ですます」調でもいい。この自由な世界で、その都度自分の書きたいやり方で、できるだけ書き続けていきたいと思います。人に話を聞いて満たされるように、自分の書いたものが、何かを教えてくれると信じて。