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何かを習うということ
社会人になってから楽器を習うようになった。先生にかなり熱心な指導をいただいた。先生は、「プロはお金をもらっているから、高い技術の演奏が要求され、それに応えなければいけない。キミは、プロじゃないから、高い技術の演奏を要求されることはない。だけど、高い技術の演奏の練習をする時に、"アマですから"と言い訳はしてはいけない。言い訳をしたところからは、上達しないよ。アマでも高い技術を求めない。」とよく言われていた。習い事を通じて、楽器に限らない学ぶ姿勢を教えてくださっていたのではないかと、今は、感じている。
その先生もコロナ禍の最中に亡くなられた。残念ながら、それなりに遠方ということもあり、先生の親族から通夜・葬儀の参列は、ご遠慮してほしいと連絡があった。非常に残念な思いであったが、時節柄しかたないかな、と割り切るしかなかった。
また、先生は、「どこでだれが聴いているかわからないよ。もしかしたら、聴衆の一人にたまたまプロが混じっているかもしれない。だから、いつでも、手を抜くのはありえないんだ。」と言われ、「プロはね、素人やアマを納得させるだけではなく、細かいところのテクニックでプロを納得させるんだ。キミはどのレベルだと思っているんだ。」と続けられた。
優しいながらも非常に厳しい方だった。いつも笑いながら、厳しい言葉を投げてくる。真顔で投げてきた厳しい言葉だったら、私は絶えられただろうか。真顔ではなく、笑いながらであったから、聞けた言葉だったのかもしれない。先生が長年指導してきて、教え子たちに伝えるテクニックなのかもしれない。いや、もしかしたら、先生自身が師匠からそのように教わってきたのかもしれない。しかし、先生は、亡くなられてしまったがゆえに、確かめる手段は残っていない。
先生は、楽器のテクニックだけではないものも教えてくれていたんだと後から気付いた。しかし、残念ながら、私が、気付いた時には、亡くなられていたわけだ。
先生の指導を思い出す時に、こんなことを思い出した。先生は亡くなられたが、私がいただいた言葉というものは、間違いなく残っているんだな。そんなことを思い出しながら、楽器を手に取ったのだ。
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