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過疎化地域に30年住んで〜その2

 先日、「過疎化地域に30年住んで」という記事を書いた。

 この記事は、その続きにあたるものだ。

 私の住んでいる地域は、もともと9つの小学校(ただし、S小学校は昭和後期に統廃合されていた)が存在していた。しかし、現在(2024年)には統廃合が進み、3つとなった。

 私の住んでいる地域は中学校が1つだけしかない。つまり、地域内の8つの小学校の生徒が1つの中学校に集まる。

 私の中学校の時の同級生は約100人いた。この頃は、8つの集落に小学校があり、子どもがいない居住者からもPTA会費を集金して、集落の行事として学校の運動会等を開催していました。当然、「集落の行事として」であるから、大人だけの徒競走や綱引きもありました。

 地域の行事の1つにもなっているから統廃合には反対という立場の方が多そうな感じもします。しかし、ここ10年で6つの小学校は廃校になり、中心部の小学校に統合されました。

 実は小学校の統廃合から遡ること60数年前のことです。昭和30年代に中学校の統廃合問題がありました。その時は過激な統廃合反対運動がおこり、反対派の人の中には逮捕された方もいました。結果、地域内の中学校を1つにしました。しかし、反対派の親たちは、自分の子ども達を隣の町の中学校に通わせて、最後まで抵抗をしました。

 このようなことが60数年前にあり、小学校の統廃合も難航しそうなことが予想されていました。しかし、予想に反して、5つの小学校はスムーズに統廃合が進みました。2つの小学校は統廃合を拒否しました。

 統合に賛成の理由は、いくつかあります。聞いたものを以下に箇条書きであげておきます。

・小学生時代から大人数の方がいい
・全校生徒のほとんどが親戚や縁戚の関係性のため、身内感覚が強くてよくない
・過疎化により地域での小学校維持活動(清掃など)が難しくなっている

 統合された5つの小学校のうちA小学校だけ話し合いの時間がかかりました。最終的に集落の多数が合意するきっかけとなったのがA小学校の統廃合委員会Bさんの意見でした。Bさんは、昭和後期に統廃合されたS小学校の出身でした。

 S小学校は転出者が多い集落にありました。当時の大人たちは「子どもが1人でもいるならば学校を維持せねばならない」と考えていました。実はBさんはS小学校の最後の卒業生であり、1人で6年間の小学校生活を過ごしたのです。ですから、Bさんは、「“子どもが1人でもいるならば“という理念はわかるけど、自分は小学生時代辛かった。中学生になった途端に同級生が100数十人だ。同じ思いをする子どもはいてほしくない」という意見を出しました。これに委員会の大多数が賛同して、A小学校は廃校になり、中心部の小学校に統合されました。

 地域が過疎化して、居住者が減ることは、学校が減るということだ。これからは振興局内(北海道内の区域)の高等学校が減っていくだろうということが予想されます。

付記
1.小学校のPTA会費を子どものいない方からも集金していた話があったが、中心部の小学校は例外であった。完全な小学校行事としていた。
2.高等学校の減少については、ある情報筋から得られた情報を書いておくこととする。
間口調整(高等学校の一学年の定員数40人を一間口[ひとまぐち]と呼ぶ)が実施される際に、道議会議員(北海道なので府議会議員や県議会議員ではなく道議会議員)が私の住む地域に関しては中核都市部の間口を減らして地方の高等学校の存続をできる限りするように動いた方が複数名いたようです。
理由としては通学距離の問題です。中核都市部の高等学校に私の住む地域から通学すると片道35〜50キロです。この通学距離をどのように考えられるでしょうか?実は条件がいい方です。更に条件が悪い人たちのために地方の高等学校の間口を減らさないようにしたのです。その分、金銭的に余裕がある人たちの中には、中核都市部の高等学校に進学させる時に、不利となる通学距離の問題を解消させるために下宿をさせます。つまり、中核都市部の高等学校は、中核都市部の子どもと地方のお金持ちの子どもによる受験です。子どもの数は減っていますが、間口も減っているため、簡単に入れるようになっているわけではありません。場合によっては中核都市部の子どもが中核都市部の高等学校の受験に失敗して、地方の高等学校に通学するようになってしまう場合もあります。このような問題があります。ただし、私の世代は中核都市部から地方の高等学校に通学する子どもはいました。(通学がたいへんそうでしたが)

*高等学校の入学募集の人数は「募集定員」と言うのが一般的ですが、筆者が学生の時から親しんだ言葉である「一間口(ひとまぐち)」という言葉を採用した。

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シュカイ
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