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私はどんな大人になりたいのか / 『ぼくは勉強ができない』

前回のnote「本は人を映す鏡 / 『ぼくは勉強ができない』」でも触れたが、自分の子どもができた今、お気に入りの本『ぼくは勉強ができない』が全く違った物語に見えた。

これまでは、主人公の時田秀美の気持ちになって読み進めていたのが、今は彼をとりまく大人達についつい注目してしまう自分がいる。私はまだ、自分の子どもにとって「どのような大人でいたいか」が定まっていない。自然体で接するのが一番だと思うが、「子どもにとってどのような親・大人でいるのが最適なのか」ということに関してついつい考えてしまう。この本には、もし自分が子どもだった頃にこのような大人がいたらなあ、と思うような魅力的なキャラクターが何人も出てくる。その中でも、主人公の担任、桜井先生と、主人公の母親の時田仁子について書き記したい。

部活の間じゅう読書をするサッカー部顧問

生徒を導く立場にあり、真面目な人が多い印象の教師だが、この本に出てくるサッカー部顧問の桜井先生はひと味もふた味も違う。

教え子を鍛えるという使命に、まったく燃えないこの先生は、だから、皆に好かれているのだが、奇異な人間を増長させてしまうのも確かである。だいたい、ぼくたちがフィールドを走っている間じゅう、しめしめとばかりに、本をひろげるサッカー部顧問など聞いたこともない。(『ぼくは勉強ができない / あなたの高尚な悩み』より)

サッカー部の顧問でありながら、部活の間じゅう読書をしている桜井先生は、普通の人からすれば「非常識な先生」だろう。しかしそもそも、部活動は誰かに強制されてやるものではなく、好きで選んで入るものである。桜井先生のこの行動は「好きなことを好きなやり方でやる」姿を背中で見せているようにも感じる。

また、主人公の時田秀美に「健全な精神」について尋ねられると、こう答える。

「時田よ、ぼくは、そのことに答える資格などないのだ」(『ぼくは勉強ができない / 健全な精神』より)

どうしてですか、やはりどこか不健全なところがあるんですか、と聞く主人公に対しこう続ける。

「うん。体にも自信がない。心もよこしまだ」(『ぼくは勉強ができない / 健全な精神』より)

ほかにも、避妊具を落としたことで、佐藤先生に不純異性交遊のせいで成績が悪いのだ、父親がいないからそんなに不真面目なのだ、と言われ、主人公が殴り掛かりそうになった場面。教室の外でそれを聞いていた桜井先生が様子をみて止めに入る。その後主人公と二人きりになると彼はこう言う。

「不純異性交遊は楽しいもんな。先生も、良くやったぞ」(『ぼくは勉強ができない / ◯をつけよ』より)

ほとんどの教師は、生徒は自分より下の存在だと思っている。そして誰かの作った常識を生徒に押し付けようとする。この本にもそのような教師が何人も出てくる。自分より下だと思う存在に対し、人は少し自分を大きく見せたり、尊大な態度をとったりしがちだ。しかし、桜井先生は自分のことを語るとき、生徒と同じ目線で率直に語っている。彼は相手が自分が上だとか下だとかを考えていないように思う。相手が誰であろうが態度を変えることなく、一人の人間として尊重しているのだ。私も彼のように、どんな人に対しても一人の人としてリスペクトを持って接することのできる人でいたい。もちろん、自分の子どもに対しても。

息子に褒め言葉を要求したあと、男と出かけて行く母親

もう一人、主人公の母親、時田仁子は一見不真面目な母親のように見える。休みの日には自分を着飾り、息子に褒め言葉を要求したあと、男と出かけて行く。そして、自分を磨くのにお金をかけ過ぎて、時田家は貧乏だ。しかし、彼女の考え方には芯が通っており、学ぶべきところが多い。

主人公が大学に行くべきか迷っている場面。大学に行くべきか、と問う息子に彼女はこう答える。

「さあ? 行きたいの? 私はどちらでもかまわないわよ。学歴があるからいいってもんじゃないのは確かだけど、行って損をすることもないわよ。ただし、お金かかるから、なるべく働きながら行って欲しいけどね。私の大学時代はね、そりゃ楽しかったわ。もう、男子学生にもてちゃって、もてちゃって」(『ぼくは勉強ができない / ぼくは勉強ができる』より)
「(略)ぼくは、勉強出来ないけど、女にはもてるなんて開き直ってる場合じゃないわね。悩める青春なのね。素敵だわ。うん、おおいに結構、しっかり悩んで母に楽をさせてくださいね」(『ぼくは勉強ができない / ぼくは勉強ができる』より)

この本には主人公が小学校のときの話も収録されている。そこで主人公は担任の奥村に目をつけられ、仁子は度々呼び出され、対立する。といっても奥村が一方的にイライラしているだけなのだが。

「私、あの子に、他の子供と同じような価値観を植え付けたくないんです。つまり、大学出ないと、偉くなれないよって教えるような母親でありたくないんです」(『ぼくは勉強ができない / 番外編・眠れる分度器』より)
「(略)社会から外れないように外れないように怯えて、自分自身の価値観をそこにゆだねてる男ってちっとも魅力ないわ。そそられないわ。私は、秀美を不良少年にしたいとは思わない。だって、ださいもん。でもね、自分は、自分であるってことを解っている人間にしたいの。人と同じ部分も、違う部分も素直に認めるような人になってもらいたい。確かに、あの子は、まだ子供。でも、何かが起こった時に、それを疑問に思う気持を忘れて欲しくないのよ」(『ぼくは勉強ができない / 番外編・眠れる分度器』より)

彼女は常にニュートラルな立場で息子に接する。決定権はつねに息子自身にある。これは自分の考えや価値観をつい押し付けてしまいがちな親にとって、なかなか難しい行動ではないだろうか。生徒はこうあるべき、と押し付けるような態度をとる教師に対しても、仁子は毅然とした態度をとる。はっきり自分の意見は言うけれども、決して激高したり感情を露にして取り乱すことはない。

私は常々、「良い大学に入り、大企業に就職し、出世する」のが人生の成功だと言われて育って来た。そのことに対して、当時は何の疑問もなかったし、他人の価値観を生きていることに気付いてさえいなかった。私は子どもに、「当たり前だからそうする」のではなく「当たり前だと思われることも、自分の頭で考えてみて、自分なりの考えを持ち、行動する」ようになって欲しいと思う。そのようにするには、仁子のような接し方が必要なように思う。

大人にこそ読んでほしい本

この本のあとがきで、作者の山田詠美さんは「この本を大人の方に読んでいただきたい」と記している。確かに、大人になった今だからこそ、高校時代のことを客観視できる。それだけではない。私にとっては、「自分の子どもにとってどんな大人でありたいか」を考えるための良い指針になった。少なくとも今は、子どもを下に見ることなく、同じ目線で自分について率直に語ること。そして子どもが何か決断を下すときには、様々な選択肢を用意し、本人が自分の頭で考えられるようにすること。決定権は常に子ども自身にあると示すこと。以上のことができる親でいたいと思う。

この本を高校生の青春小説だと片付けるのはもったいない。25年以上前の物語ではあるが、今後もこの本がたくさんの人に読まれるといいな、と思う。


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