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【私の感傷的百物語】第三十九話 バスルーム

恥ずかしい話なのですが、僕は20代の半ばまで、恐怖映像などを見た後にシャンプーをするのが怖かったのです。原因を考えてみますと、シャンプーの最中は(用を足している時と同じで)自分が無防備になる、という点が考えられます。そう、無防備という点で言えば、風呂場は家の中において最も「危険な」場所なのです。

入浴中は当然のことながら裸ですし、まして洗髪中ともなれば、手は頭の上に置かれています。よくテレビドラマで警官が「動くな」と言いながら、犯人にとらせるポーズです。こんな状況下で背後から襲われれば、ひとたまりもありません。

そして、これに音の効果というものが加わります。シャンプーの泡が入らないよう、目をつむって髪をゴシゴシとやっている時は、妙に耳が冴えてくるものです。

シャワーのザア、という音。

換気扇の低い唸り声。

天気の悪い日などは、雨音が一緒に聞こえたりもします。

こうした無機質な音の数々が、いかにも怪異の登場を予告しているように、僕には思えてくるのです。

もちろん、平常な心理では何ともない、日常の「作業」ともいうべき(時には退屈とさえ感じられる)何気ないことです。しかし、恐ろしい話を聞いたり、映像で目の当たりにしてしまうと、こうした日常動作の一つ一つに、全く違った印象が生まれてくるのです。考えてみると、怪異の多くは、それを受け取る人間の心理状態が深く関わっていると言えます。

お化けが出るから怖いのではなく、怖いからお化けが出る、というやつです。

ただ、こうしたお化けの影に怯える人たちは、家に居ながらにして、合理主義一辺倒な視点の「外側」を体験することができるのだ……と自己弁護を含めた言い訳も可能かもしれません。

余談になりますが、風呂場での恐怖シーンというと、ヒッチコック監督の映画「サイコ」を思い出します。僕は恩師であるT先生に紹介されて観てみたのですが、心の底から「観て良かった」と思える数少ないホラー・スリラー映画となりました。
作中、会社の金を持ち逃げした女が、モーテルのシャワールームで殺人鬼にメッタ刺しにされるシーンがあります。六十年代の白黒映画であるにも関わらず……いや、むしろこの映像だからこそ伝わる迫真の恐怖に、僕は布団を握り締め、手を汗でグチャグチャにしながらDVDプレーヤーの画面に見入っていました。

名作でした、確かに。

Wikipediaにてパブリック・ドメイン扱いになっていた映画「サイコ」のポスター。
現在ではこの作品も古典扱いだろうか。

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