いちか

自分のことを誰も知らない場所がほしくて、note を書き始めました。

いちか

自分のことを誰も知らない場所がほしくて、note を書き始めました。

最近の記事

あるがままの世界。

もしかして・・・が積み重なるとそれが事実となる。 良いことも悪いことも、である。 誰しもが苦しい時に「助けて」と、何かにすがりたい時があるように、私にもそんな時がある。 しかし、事のすべてを伝える勇気もなく、考えは次第に「その辛さを受け入れる美学とは」に走りがちである。 誹謗中傷、賞賛、ネットニュースを流し読んでいると、そのどちらもが飛び交う変な人間模様に吐き気がする。 人が何者であっても、それを他の人が肯定することも否定することも、どちらもしないことが平和なんじゃ

    • 意味のない生き方。

      意味を求めすぎるあまりに、 生きることが苦しい。 そう感じる人は、今の時代の若者といわれる世代には多いような気がする。 仕事のやりがい。 家族の在り方。 ただ、ひとつの命を全うするだけなのに、 どうしてか、人は意味を求めてしまう。 進化し過ぎた「考える」を司る能の領域。 ふと、隣でスヤスヤと寝ている我が家の猫を見ると、 人間は不幸にも進化しすぎたのかもしれないと思ったりする。 これまで、それなりにぶつかる壁を乗り越え、 自分で考え選び出してきた道を進んで

      • 道しるべとは誰のもの?

        人はなぜか 答え を求める。 今やgoogle先生に聞けば、たくさんの情報を自分の人生の時間という対価を払えば教えてくれる時代である。 町のいたる所に目につく親切心が、 時に人を腐敗させる不親切新であるように思うことがある。 迷うことに、 行き止まりがあるかもしれないことに、 失敗するかもしれないことに、 誰かに指摘されるかもしれないことに、 恐れるな。 自分の五感を使って、目の当たりにする。 そうするだけで、 ものごとは、思っているほど怖くもないし、

        • 誰も知り得ない 場所

          時代の流れなのだろうか。 自分がしてきたことの流れなのだろうか。 芸能人でも、著名人でも、もちろん犯罪者でもない自分だけれど、 自分の名前を検索にかけると、出てくる自分の情報。 SNSには、みんなに知ってほしくて、伝えたくて、そんな気持ちで実名で色々と発信してきたけれど、それにだんだん息苦しさを感じてきた。 学生時代の友人、近くのちょっとした知り合い、仕事関係、そういう繋がりからSNSの交友関係が広がるけれど、自分自身の充実感は満たされはしない。 自分のSNSに投

        あるがままの世界。