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洗っても洗っても、書いても書いても。

洗濯、をしていると、私はいま、ちゃんとできている、と感じる。汚れた服を、あるいは、汚れたように見えない服を、時間をかけて(洗濯機が)洗う。シワをのばして、太陽と風があたる場所に、干す。きれいになった、あるいは、きれいになったように見える服を。

一日外に出ただけで、服は汚れるらしい。それなら、20年と半分ちょっと生きている私は、どれだけ、汚れているんだろう、と思う。この手は、この足は、どれくらい、汚れているんだろう。洗っても洗っても落ちない汚れは、目に見えないところに、どれだけ、あるんだろう。生きていると、人は、汚れていくらしい。


最近、数年前に書いた原稿を見直した。若くて、拙くて、きれいだと思った。昨日、2週間前に書いた原稿を見直した。拙くて、痛くて、愛しいと思った。私は私でありながら、すこしずつ、剥がれ落ちていく。変わっていく。変わりたいとか、変わりたくないとか、関係なく、変わっていってしまう。


そういえば、朝から、喉が痛い。昨日は、痛くなかったのに、今日は、痛い。痛みは、どこから来るんだろう。この痛みはどうして、私のところに来たんだろう。


人は死んだらどうなるのか、むかしは、こわくて仕方なかった。最近はあまり、考えなくなった。生活を、しなければ、ならないから。大人になる、とは、諦めることだと、誰かが言っていた。私だったかもしれない。

詩を、書いている。小説を、書いている。短歌を、書いている。仕事から帰って、夜、すこしずつ、書いている。呼吸だ、と思う。この時間は、呼吸だと。

出版社から出版した本は、一冊もない。詩や小説で、ごはんを食べることは、できない。選考に残りました、何も引っかかりませんでした、うちで自費出版しませんか。いくつもの分岐点、電話口のことば、「書き続けてください」と言ってくれた人、数多の呪いと祈りを、思い出す。
振り向けば、原稿用紙が積み重なっている。大半が、私しか知らないまま、全部燃えるゴミになる。でも、燃えてなお、消えない、消えてくれない。私は、私だけは、彼らを、生まれるはずだった物語を、殺したくない。

プロじゃないのに、詩人とか、小説家とか、名乗っていいのかもわからない。でも、詩を書くのが詩人で、小説を書くのが小説家だとしたら、私は三歳の頃から、詩人であり、小説家だった。こんな書き方では身が持たないと、もっと明るいものを書かないと流行らないと、痛々しくて見ていられないと、わかっている、わかっていながらも、私は私のなかにいる彼らに、外を見せてあげたかった。そして、大丈夫だよと言ってあげたかった。

詩人でいたい、小説家でいたい。私は私を救える作品を、ただ大切につくっていたい、救われなかったかつての自分に、別の世界線を生きる自分に、届けていたい、大丈夫、あなたがどうあっても大丈夫だと。それを、誰かが「救い」と呼んでくれるなら。

生きることも書くことも死んでいくことも孤独で、でも、私は私を、けっしてひとりにはしないよ。夏。私は夏の夕方になると、ときどき狂ってしまう。そろそろ狂う準備を始めたい。まずは、冷蔵庫を爽でぱんぱんにして。


―本を、つくりました―
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眠れない夜のための詩を、そっとつくります。