【気づき】自分を信じること
結局、どんなに悩んでも信じられるのは
己だけだ。
SNSだって、自分の存在を知ってもらう
ために運営しているのであって、自分を
信じられなければ意味がない。
4~5年前にコナミの女児向けゲームの
イラストアカウントを運営していたのだが、当時の自分は、とにかく自分の絵に
自信が無かった。
最近その絵を見返してみたが、ちゃんと
キャラクター達を自分の意図通りに
表現できていた。
なぜ、当時はあんなに
「自分の絵なんて…」と
思っていたのだろう?
確かに、いいね数は正直、
モチベーションが左右される
大きな要因のひとつだ。
でも、最終的には
自分が自分の絵を好きかどうか
が一番重要なのではないかと思った。
自分を信じるということが、
今までどんな感覚なのかが
全く分からなかった。
最近は、他人を尊敬することと同じで、
自分の実力に信頼を寄せるのに近い
のではなかろうか?とふと気づいた。
結局は自分は他人
(それでいて客観視できない、
私に一番近い隣人)なのかもしれない。
自分で自分の力を信用する…、
25年間地道に努力を積み重ねて、
やっと見つけた解答だ。
また、指導でよく用いられる
「根拠の無い自信」についても
なんとなく分かってきた。
自分は○○だ、と思い込んで
行動してみることだ。
ちなみに私は、
私の生きたい世界を造りだす「天才」
だと思いこんでいる。
「私、天才だから!」って唱えれば、
なんか色々どうでも良くなる
魔法のワードである。
また、私は怪人(狂気的)であり、
オスカル(気高さ、高貴)でもある。
(※と思い込んでいる。)
私が絵を描く理由は、
私がイメージ記憶の人間だから
なのかもしれない。
(実際、中学の国語の百人一首の
暗記テストは自作の
1コマ漫画で乗り切った)
また、私がこの世界の光を通すレンズは
『美しく平和で幸福な日々を、
永遠に留めておきたい…』
…といった想いだ。
このレンズが網膜(私が創造する作品)に
投影されている。
流水のように失われていく若さと時間、
それを永遠に留められる最高の手段は
今の私にはやはり絵しか思いつかないのだ。
『死』が終着点のこの旅路で、
いかに美しい瞬間を捉えられるか…。
それが、私に与えられた
宿命なのかもしれない。
インターネットはその旅の記録を
分かち合う媒体に過ぎないのだ。
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