天上のバレエ・地上のダンス(52)セーラー服の迷走
いつからか、なくなってしまったものにセーラー服がある。昭和の高校・女子の制服だった。制服さえ着ていれば「女子高生」に見られた。
便利で都合のいい、かくれみの。
制服の功罪
大阪のまちを、セーラー服で歩けば、ふつうに高校生に見られた。セーラー服は、女子高校生の象徴・代名詞でもありました。
しかし着る本人にしたら面倒。胴周りも、着丈も直ぐに、きっつきつ、ぱつぱつになり、不経済。背中まで伸びる襟が暑い。スカート丈の調節。蛇腹(何本もあるヒダ)がおもい。
いや、むしろ私服を持たない、ビンボー女子高生のわたしには、楽チンだった。たんなる、ものぐさ。
令和のいまなら「着るもの制服化」「おなじ服もでよい」時代だが。
父と祖母しかいない、おしゃれとはまったく無縁の家庭。で、わたしはいつも、おなじ服。わびしいものです。おしゃれが何か、わからないような女子高生でした。
当時のトラウマか「服の一枚でも買っとき」といって、娘にお金を渡します。
ヨレヨレの下着や靴下は、ほんとうに、みじめでしかなかった。ハンカチもタオルも傷んでいた。
余分に、お金をくれる親ではなかった。お金があれば……。
かといって高校行かないで働くのもイヤ。もうすこしセーラー服を着とこう。卒業まで。
着脱する鎧
セーラー服は鎧のように、しぶんをまもる。まだ未成年・非社会人。すぐわかる、身分証のように。甘やかしてくれる都合のよい鎧だった。
すきな科目や勉強したいものもなく。高校三年間を過ごしました。
なんと、もったいない。
ダンスもそこそこに適当に。モダンダンス部は週二回。制服の鎧を脱いで踊る。少しだけ身体が軽い。部活が終われば、また鎧を装着。
残りの日は、どうするか?家に帰っても仕方がない、楽しくない。何かで時間をつぶす。
もうひとつ部活の鎧を増やした。
「漫画研究会」ちぢめて「漫研」
絵を描いたりイラストを描くのがすきだった。
しゃべるのが苦手を通り越して、ほとんど何もしゃべれなくなっていたのだ。
ダンスもマンガをかくのも、しゃべらなくてすむ。暗い女子がセーラー服たり脱いだりしていました。それだけの高校生活。
あっちつかずウロウロ
しぶんは、やる気もなく迷走状態の三年間。
セーラー服を着ながら、ゆるがぬ将来をそだてている子もいた。
みんな、ちゃくちゃくと駒を進めていたのだ。同級生でモダンダンス部から、ふたりがダンスの道に進みました。
ひとりは、先輩を追った。高校を卒業後、マツタケ歌劇団の下部組織生 (研究生) になった。各種ミュージカルや歌手のバックダンサーとして、コンサート・舞台で輝いていた。
もうひとりは、キレイな子だった。芸能人となり、テレビに出た。後年はダンスのインストラクターとして、オリジナルダンスの指導者に。先生になるとは、ほんとにダンスが好きなのだと思った。
反対に、ぽけ~っとしてた、わたし。
ダンスが好きながらも普通就職。
ちゃんと考えている人は、陰でやってるんだ。努力してる。そういうものだ。セーラー服の鎧のなかも鋼の身体を育てていたのだ。
わたしは、セーラー服の鎧を着たり脱いだりしただけで、甘えていただけ。
高校生活の、なかばからジャズダンスのブームがやってきたのに。
人生はオーディション。
リハーサルなしの本番だけ。
高校生活をどう過ごしたか?
ダンスにすすんだ同級生と、わたしには雲泥の差があったのだ……。
いつも こころに うるおいを 水分補給も わすれずに
さいごまでお読みくださり
ありがとうございます。
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