大阪コリアタウン(6)いくのパーク写真展「済州海女(チェジュ・ヘニョ)」
いくのパーク・みゆきもり小学校跡地の記事が続きます。
入り口にモノクロ巨大パネル。
これは韓国・済州島の海女(あま)さんの写真です。
写真展「済州海女」
海中メガネとスイムウェア。
おなじみ海女さんの姿です。
いくのパーク(みゆきもり小学校跡地)の玄関口で写真展がひらかれています。
校区内に、大阪コリアタウン。
ここに住むひとびとのルーツは韓国・済州島。
韓国の読みで「チェジュド」。
海女は「ヘニョ」
済州の海女で「チェジュヘニョ」です。
写真家 ヤン・ジョンフン氏
ふるさと済州島
約100年前にたくさんの韓国のひとびとがやってきました。
直行便「日本丸」で済州島から大阪市生野区へ。
済州島では女性たちのおおくが海女として海に潜っていました。
過酷のひとこと。ひとりで素潜り。アワビやサザエをとる技術。体力も必要な海の労働。
ことばもわからない日本にやってきた済州島の海女さんたち。
海の仕事より過酷だったにちがいない。
大戦後、済州島に帰ることはかなわず大阪で暮らすひとびと。
海女さんのおおくは、かつて済州島で教育を受けられませんでした。
若いうちから海に潜っての仕事。母国のハングル文字も書けなかったそうです。
おもいだすのは、オルレ。ふるさと済州島の石畳の路地。せまいせまい通り道・ひとときの散歩道。くだける波。海風にさらわれるようなくらし。
高齢化の海女さん
2016年ユネスコ人類無形文化遺産を受ける済州海女のみなさん。
命がけで海の仕事、その海中メガネをとる顔は。
失礼ながら、おばさん、おばあさん。
いくのパークの海女さんは、未来へ泳いでいけるのでしょうか。
どんな仕事も後継者不足です。
モノクロの大きな写真は、こころの深いところまで写しだす。
海のなか天候の左右や、強い自然の圧力。息苦しい手さぐりの仕事。
みればみるほど海の底に沈むような不安。
それを手でかき分け、すすむ海女さんの姿。
陸にあがる。
いきるよろこび。
未来へかけてゆく海女さんの顔は。
◆この記事は
大阪コリアタウン歴史資料館を参考に作成いたしました。
いつも こころに うるおいを
水分補給も わすれずに
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