深江郷土資料館・大阪の菅笠
小学校で歌った『茶つみ』の「すげのかさ」や、『かさじぞう』。頭にかぶるは、菅笠。
二千年以上、大阪の中心で菅笠を作っているとは知りませんでした。
(2200文字)
深江郷土資料館
わたしたちの暮らしに、傘あれど笠はなし。
頭にかぶるものは帽子やフード。
「旅立ちに 菅笠かぶりて お伊勢さん」
大阪から奈良、伊勢までの道すがら、深江で菅笠を買って旅立とう……そんな時代がありました。
最寄り駅は……
●Osaka Metro(大阪メトロ) 千日前線・新深江駅…徒歩約10分
●近鉄電車・布施駅…徒歩約15分
小学校の社会見学で児童が来館するそうです。わかりやすく鑑賞しやすい小さな資料館。
郷土の人間国宝・角谷一圭記念館でもあり、鉄瓶・工芸品の展示もあります。
詳しい深江のパンフレットもいただけます。
予習なし・飛び込み入館でも大丈夫。
摂津國笠縫邑「深江」
ようこそ菅笠の里へ
深江 お伊勢参りへ旅立ちのまち
ここは奈良へ向かう街道、現在は国道308号線。
深江南郵便局の東側に石碑があります。
深江稲荷神社と深江郷土資料館への道。
「すげの道」を通ります。
◆人間国宝・角谷一圭 生家◆
鋳物・鉄瓶・茶の湯釜
伊勢神宮式年遷宮・御神宝鏡謹納
お向かいに、深江稲荷神社と深江郷土資料館があります。
古代の深江は島
大阪市東成区。大阪の真ん中で陸地なのに、深江。近くにも片江という地名があります。
深江郷土資料館には、大阪の古代の地図も展示されています。
なるほど、入江のような地形。
古代、深江は菅が生い茂る島だったのです。
そして菅笠をつくる一族・笠縫氏の住むところとなりました。
深江稲荷神社は、「摂津笠縫邑の跡」石碑があり、また「鋳物御祖神社」ともいわれています。
◆万葉歌碑……高市黒人
「四極山 うち越えみれば笠縫の
島漕ぎ隠る 棚無し小舟」
「笠縫の島」とあります。万葉集 巻三
◆深江稲荷神社 石碑
◆摂津笠縫邑跡
◆深江菅笠ゆかりの地
江戸時代の名産・深江の菅笠
菅笠の実物。頭にちょこんと、軽そうです。両手がふさがらず、雨風や日焼けも防ぐ。旅のおともにピッタリです。
菅草を編む菅細工は寒い冬の女性の仕事。奈良、伊勢に向かう街道で売られていました。
深江の菅笠は江戸時代の名産品でした。
時代は変わり、旅の移動は電車・自動車・飛行機の時代に……
地域の有志で、深江菅細工保存会を発足。深江郷土資料館の前に菅草を植えて「菅田」を復元しました。
「菅田」には水が張ってあり、本当に田んぼのようです。
「菅田」読み方は違いますが、
同じ漢字の人気タレントさんもいますね。
もしかしたら「菅笠」とゆかりの人かしら?
ご先祖は笠縫氏かと妄想してしまいました。
伊勢神宮・式年遷宮に奉納
深江郷土資料館のメイン展示。
大きな菅笠が立っています。
笠の直径2メートル。
1973年(昭和48)に、伊勢神宮式年遷宮で奉納された菅笠です。
「御翳」…丸い扇状です。
「御料菅御笠」…巨大な傘です。
大阪・深江の菅笠が、20年に一度の伊勢神宮・式年遷宮に奉納されているなんて。
これからもずっと作り続けてください。
階段を上って観ることもできます。
菅草を天日干し・硫黄で加工するので白く、なめらかな質感。近づくと編み目が見えます。
独特の金色の飾りや帯のような紐がついています。
大型の遷宮用菅笠、貴重な観る機会。ありがとうございます。
神宮式年遷宮・渡御御列
1929年(昭和4)御遷宮絵巻
英文の説明に
◆渡御御列……「トギョ・ パレード」
◆遷御……「トランスファー・オブ・ ザ ・シンボル オブ・ ザ・神 / ゴッド」
と、あります。
漢字は短くていいですね。
アルファベットにすると違う雰囲気に。
鳳凰の笠
令和元年。天皇陛下即位・大嘗 祭にて使われました。
やや、平たい笠です。
御菅蓋といいます。
実際に使われた写真もあります。
神官が天皇陛下と皇后さまに笠を捧げています。
(写真は宮内庁提供)
鳳凰の飾り。ガラスの中ですが、まさに極楽鳥。
いまにも飛び立ちそうです。
わたしの後に、1人だけ入館して来ましたが、すぐ退館された。
その後、誰も観に来ません。
深江郷土資料館、もったいないです……
深江のまわりを歩こう
最後に
「深江と菅細工の伝統」を。
深江のまち。むかしのまちと菅細工を継承。
これからも、このまま、このまちで。
むかしの街道は、また別の機会に、ご案内いたします。
菅笠のお店を探して……また。
いつも こころに うるおいを。水分補給も わすれずに。
最後までお読みくださり、
ありがとうございます。
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