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故郷に錦を飾る・そのココロは錦湯さん


「懸命に働いて財を築き、故郷に錦を飾ろう」
高度経済成長期、1955年ごろ(昭和30)~1973年(昭和48)ごろまで、とても景気がよい時代がありました。

日本列島の端々はしばしから都市部に出稼でかせぎに来た若者たちの夢ことば。


錦湯にしきゆさん

きんより崇高。キング・オブ・鯉、大きな池の優雅な錦鯉のごとく。

大阪の銭湯の屋号に限らず、どこの銭湯でも、だいたいその土地の名前を冠しています。
たまに立身出世の縁起もの、といった、めでたい・愛でたい、名前の銭湯もあります。

だからこそ新鮮。「金」より縁起が良さげな「錦湯」さん。

錦湯さん
大阪市生野区新今里4-10-5
土曜休み


今里新地いまざとしんち


昭和のはじめまで大阪の郊外だった今里いまざと
鉄道沿線の目玉「今里新地いまざとしんち」として開発された歴史があります。


かつては、艶やかな三味線やお琴の調べが格子窓から。
飲食店・割烹・仕出し・呉服屋・銭湯、たくさんの屋根。


夕刻から夜明けまで、音も香りも人の声までも、ないまぜになって町を彩っていました。


大阪へ集団就職

地方から働きにやってきた若者も多くて。
わたしの母も集団就職組でした。
みな若く中学や高校を卒業したばかり。
「金の卵」と期待され、朝から晩まで、よく働きました。


仕事はたくさんあったそうです。
大阪のまちは、ネオンきらめく大都会に。若者たちが働いて支えていました。
そして、お盆と正月に故郷に帰ります。
年の瀬に、店先でお餅をついて、お小遣いをもらって、また来年。

老舗の和菓子屋さん



誰が大阪の銭湯を


「出稼ぎ」なんて言葉、今はあまり聞きませんね。「地元を出て稼ぎに行く」ことです。


北陸地方などの農家では、冬が雪のため農作業ができません。
「季節労働者」として、大阪に「短期バイト」で大阪に来ている人も多かったのです。


商売人たるもの、休みは月に2回だけ…とか。過酷でした。
いつか「独り立ち」や「暖簾分け」を夢見て。

好景気で夢と希望にあふれていた時代。「お風呂屋」さんとよばれた銭湯も、お客さんで賑わっていました。


銭湯の経営者は、北陸出身・石川県の人が多いそうです。
大雪、寒く冷たく大地は凍てつき、仕事ができない冬。
こんな思いや経験がないと、地味で長時間拘束の銭湯に従事できないでしょうね。
ありがたいことです。

傘箱もある


わたしは、家のお風呂場を洗うのも面倒なズボラ主婦。
銭湯には感謝して入ります。銭湯てを働く皆さまを尊敬しています。


豆腐屋さんも石川県出身の人が多いそうですね。


故郷に錦を飾る

こんな言葉も使わなくなりました。
「故郷に錦を飾る」
錦は、最上級の豪華な織物。
染めた着物よりも、織った着物を。金銀が織り込まれた晴れやかな錦を。


一生懸命、働いて、お金を錦を。
ふるさとへ持って帰りたい。


昭和のころ、
夢を追い都会に出てきた男は、故郷に帰らない残してきた恋人とはフェードアウト……
こんなモチーフの歌謡曲もありました。
いつの時代も変わらない群像劇。


いまほど新幹線や飛行機などの、超速・時短交通機関もない。
都会に行ったら行きっぱなし。
交通費も高くつく。
帰りたいのに、なかなか帰れない。
頭に浮かぶは、故郷。家、家族や兄弟姉妹。
元気で待っていて。それが毎日。

明日も頑張ろ

きょうも、いちにち、おつかれさま。
お風呂で疲れをいやそう。


親方に嫌なこと言われたら。
全部、排水口に流すべし。
頭をガシガシ、さっぱりスッキリ。
白い石鹸。いい香り。
暖簾を出ると
いまから出勤、白い肌のお姉さま。


仕事頑張ろ。あしたも。


こころは錦。
遠い故郷に想いを馳せて……



毎週土曜日は
「銭湯エッセイの日」


いつも こころに うるおいを。
水分補給も わすれずに。


最後までお読みくださり、
ありがとうございます。

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