橋のたもとのジョアン
「おまえは橋のたもとで拾った子だよ」
運河の流れる町で育ったわたし。小さな橋が何本も架かっていた。
何かあれば「橋のたもと」と言うコトバが登場した。
橋のたもと
わたしが小さい頃。できの悪い子どもへの慣用句は、
「捨て子」(よい表現ではないですが、ご容赦ください) だった。
「川で拾った子だよ」「橋のたもとでミカン箱に入って捨てられていた」……
「そんな、できの悪い子は、うちの子じゃないね」
と言う意味でした。
その頃のマンガやアニメは、捨て子や孤児院のネタも多かった。悲喜こもごも。橋のたもとには、ドラマがあった。
戦後の混乱期を生きた親世代は普通に、そんな言葉を使っていたのだろう。そんな世代も言葉も、多くの埋め立てられた川のように歴史に埋もれゆくのだ。
「橋のたもと」の「たもと」
いまも使うのでしょうか?
わたしは、たまたま運河の町に住んでいたので
「橋のたもとに、お店ができた」
「橋のたもとで、車の事故」
など「捨て子」の表現の他にも生活のシーンに「たもと」が組み込まれていました。
たもととは、「きわ」「そば」と言う意味です。
「橋のたもと」は「橋のそば」
そうそう、浴衣を着たとき、腕の「たもと」にハンカチや小銭をいれて夏祭りに行きました。
こんなコトバもありますね。
「たもと」とは、ちょっとしたポケットのような空間なのかも。
いまは「橋のたもと」の
いや、たもと自体が、なくなってしまいました。
多くの川で、橋は大きくなり堤防が嵩高くなったのです。
そして多くの「橋のたもと」は勾配のある道路へ変わっていきました。
常安橋のたもと
大阪は別名、水の都・水都。川や橋が多くあります。橋の名前は地名の他に、スポンサーやプロデューサーの名前が多いのです。
水回りや川がすきなわたしは、きょうも川辺をお散歩します。
常安橋も例にもれず…常安という人の名前から。
常安橋のたもとにビルがあります。ちょこんと、三階建てのビル。きっとむかしから、常安橋のたもとがある時代に建ったビルでしょうね。橋のキワキワに建っています。
カルチェ・ラタン
ティーポットとイギリス国旗。
入らずとも伝わる陶器の広告塔。
レトロなレンガ調。ティーサロン&バーとあります。
雑貨もあるオシャレなお店。
小さい頃の、橋のたもとの屋台を思い出します。
お花屋さん、くだもの屋さん。
子どもの集まる公園のちかくの橋のたもとは、アメ屋さん。
キラキラ光るべっこう飴や、動物のアメ細工。
自転車や軽トラのお店が日替わりで。
『郵便配達夫』図工の教科書の常連さん。
もうすぐ近くの美術館で会える。
小学生の時、「お爺さんが仕事してる、なんで?」って思ってたけど、わたしも既に同い年ぐらいに。
ちなみに画家の佐伯祐三画伯がハンサムでビックリ。ジョジョに登場しても違和感がないほど。
使い込まれた木の手すり。もちろんエレベータはないのです。
橋のたもとのお店。カルチェ・ラタン。
たもと のこれから
どんどん高層建物ができる、堤防の川の向こう。
住宅がてきて家族が増えても、「橋のたもとで拾った子だ」なんていう人はいないだろう。
たもとは豆粒か、見えないかの高さだ、きっと。
常安橋のたもとから眺める。このアングルはいい。
橋の上を通る車や人が見えないし、見られない。
小さい頃の橋の高さと雰囲気。
「はやく、大きくなりたいなぁ」
欄干の隙間から将来を見ていた。
草木に溶け込むポットティーの紅茶がやってきた。カップやミルクを従えて。
こんどは、BLTサンドイッチ。
ベーコン・レタス・トマト。いつからこんな名前になったのか。
橋のたもとのに来たせいか、いろいろ思い出したり、忘れたり。
けっこうなボリュームで大満足。
常安橋のたもとのティールーム。
家に帰ったら失礼にも、お店の名前を忘れてしまった。
ジャズが流れていた常安橋のたもと。イギリスの旗が立っていた。
横文字だった。何だっけ。
「やっぱり橋のたもとで拾った子だ、わたし」
後で指一本で探そう。
とりあえず店名は
橋のたもとのジョアン。
いつも こころにうるおいを。
水分補給も 忘れずに。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。