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慣れないことに時間がかかるのは自然

先日、休むことが怖い、という旨のnoteを投稿した。

脳内に走った点滅信号をそのまま書き留めたような散文で、脈絡も何もない。正直、あまりの文章の下手さゆえに読み返すのが恥ずかしいくらい。
自己満足のために書いた絵日記やからええんや…と思いつつも、こんなメモ書きみたいなnoteを垂れ流すくらいならこの絵日記自体を最初から無かったことにしてしまおうか、とこの3日間グルグル考えていた。(お分かりの通り、毎日更新はとっくに諦めている)
ところが、誰の目にも留まらなくていいと思っていたものが、数人の方に見ていただけた。これが、想像よりも嬉しかった。
一に体調、二に体調なので「これからは毎日更新して内容も充実させていきたい!」とは思えないけど、少なくとも「ま、消さなくてもいいか」くらいに思えた。
なんて単純!だが、それで良いのだと言い聞かせてみる。

そんな間にも、バックグラウンドでは「なんで休むことが怖いんだろう」という問答が続いていたらしい。とにかく、全ての思考を停止することが難しい性分なのだ。
そして今日、草むしりをしている間にピン!ときた。正確にいうと、降ってきたわけではなくじわじわと考えが固まってきた。

休職1年目なんだから、休むことに慣れないのは自然なことじゃない?

そもそも、社会における私の役目は赤血球としてあちこちを走り回ってはあるべき場所にあるべきものを滞りなく届けることだった。毎日いろんな人へ電話、メール、社内調整、時には物理的に走って折衝、折衝、折衝。暇な日はあれど、基本的には5日働いて2日休み。しかも休日は平日溜まった家事の消化に日用品の買い出し。毎日をTo do で埋め、チェックマークをつけていくことが私の生活だった。生まれてから29年の間、何もせずに英気を養う教育なんて受けてこなかった。上手にエネルギーを温存して生きている人ももちろんいたけど、自分の生き方を正しいと信じて疑わなかった。それで数年間を過ごしてきた人間に、今度は自分の体調を第一に考えてくださいねと言われても。赤血球に白血球になれと言っているようなものじゃないか。こちとら業界未経験者じゃい。

もちろん休むことに慣れたいわけではない。いずれ再就職したいとは思っている。けど、自分ではない誰かが社会を循環させている姿をみるたびに、後ろめたく思うことに疲れてしまった。開き直れる理由が欲しかったのだ。
これだけでも充分、図太くなった方だと思う。

じゃあ、業界未経験者はどうやってその場に慣れていくのか。
それはもう、模索中のひとことである。
どんな1日を過ごすのが自分に合っているのか、調子のいい日と悪い日にはどんな違いがあるか、何をしたときに頭が軽くなったか(逆に疲れてしまったか)。
信頼できるメディアのいう休息方法を一つ一つ試しては、観察と記録。そんな気にならない時は「何もしない」と決める。まるで仕事みたい。
日々やっていることを簡潔にまとめようとするとどうしても抽象的なことばになってしまうけど、「自分の体の声を聞く」ことって大事なことだ。体は痛みやだるさを感じるけど、「心の声」には理性が混じってしまいがちだから。

あと、過去の自分に言えることがあるとしたら2つ。
調子がいい日に立てた予定を信用しない。
草むしりは意外と良い。

キーボードを打っていたら手首が痛くなってきたので今日はおしまい。

2022.5.15 朝

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