他人を満たす前に自分を満たす
自分の機嫌は自分でとる、と随分前から言われているけど、
「あなたは今、満たされていますか?」と聞かれてイエスと答えられる人はどのくらいいるんだろう。
今日みたいな低気圧の日は、なんとなく気分が上がらないまま過ごしている人も多いんじゃないだろうか。
私は最近投薬の量が増えたのに身体が順応しきっていないのか、連日ダル重である。それでもこうして絵日記を書いているのだからものすごく偉い(自分で自分を褒めていくスタイル)。
心身の健康って?
うつ治療中の私にとって心身の健康については昨今もっぱらの関心事だけど、最近読んだ本にこんなことが書いてあった。
「あつこすめ」というPodcastで有名な福本敦子さん。
著書を読むのは初めてで、オーガニックコスメの紹介から福本さんのパーソナリティの話まで、心と身体の状態をよく観察されているのだなと思いながら読んでいた。
心の健康とか、自分で自分の機嫌を取るとかいうのを目にすると、「じゃあどうやって?」「機嫌をとるってどういうことだろう?毎日上機嫌なんて無理じゃん」というようにハウツーや言葉の定義を考えてしまうのが常なのだけど、この1ページを読んだことで、自分の目指す「健康」がわかった気がする。
つまり、心と身体が満たされていること。
いや曖昧な言葉から曖昧な言葉に移っただけかい。
「満たされない」=「寂しい」
ここからは私見だけど、心と身体が満たされている(特に心が満たされている)状態とは、自分の寂しさを認めてあげられることだと思う。
うまくいっている人を羨ましく思ったり、妬んだりする気持ちは、「認められたい」とか、「もっと頑張りたい(のに頑張れない)」とか、どこかに寂しさが潜んでいる気がする。
例えば私の心がジョウロだとする。仕事、家族、恋愛、健康…日常のあらゆるシーンに寂しさは存在していて、それが積み重なって傷になり、ジョウロに穴が開いていく。
針の穴のように細い空洞から水が滴り落ちて、いつの間にかジョウロが空っぽになっていく。
そんな穴あきジョウロで、他人の植木鉢に水をやろうとしてできるだろうか?
他人の期待に応えたり、役に立ったりすることで埋められる穴ももちろんある。
私自身、過去に「人のサポートをすることが好き」という志望動機で営業事務に就職したものの、心底人のサポートに向いていないと思ったことがあった。
自分が本当に望んでいるものに向かって、まっすぐに努力を重ねるのではなく
「人の役に立てることって素敵だよね」と無意識かつ半ば自我を捻じ曲げるように目標からピントをずらして、的外れな方向へ突き進んでいたのかもしれない。
当時の私は目に見える穴を埋めたり、周りの植木鉢に水を注そうと走り回ることに必死で、見えないところに大きな穴が開いていることには気がつけなかった。
心と身体を満たすために、今できること
29年付き合ってきた心にも死角はある。
この先の人生を「健康」でいるために私ができることは、とにかくジョウロ(自分の心)を点検しまくること。そして、穴があることで自分を責めず、どんな材料で、どんな方法を使えばその穴を埋められるかを考えること。
一気に完璧に修繕できなくてもいい。一時凌ぎで、そのうちまた穴が開くかも…なんて考えなくてもいい。とにかく今できる方法で、知恵を絞る。
穴が塞がり切らなくても小さくなっていけば、自然と水は溜まっていくはずだから。そうすれば、今度は周りの植木鉢にも水をやれる余裕ができるかもしれない。
その余裕ができたら、なるべく人の寂しさを想像できる人になりたい。
そんな願いを込めて、最後にこちらの一節を引用します。
2022.4.26 朝