ブラッドボーンと西洋文化の血脈 4
さて、ブラッドボーンと西洋文化の血脈その4という事ですが、前回まででキリスト教の成立時期、紀元一世紀から中世の十数世紀ごろまで飛んで、かなりざっくりとその布教の過程、思想についてお話ししました。
しかし当たり前ですがその千年以上もの間、キリスト教というものは存在し続け、西洋地域で受け継がれ続けました。
ご存じの通り私たちが普段使っている西暦とは、おおよそイエスの誕生した年を紀元一年と数えます。その三百年ほど後の四世紀ごろには、コンスタンティヌス一世によるローマ帝国での公認化。わずか数十年後の同世紀中に、テオドシス一世によって国教化されるなど、キリスト教は驚くほどの速さでローマに普及したことがわかります。
ほんの初期には同じローマ内でも皇帝ネロによる弾圧があり、初代ローマ教皇であったペトロの殉教(史実であるかは疑問の声も)など苦しい時代もあったそうです。しかし、ギリシャ神話から継いで自らのローマ神話という宗教を持っていたローマ内でたった数百年で普及し、国教化までするというのは驚異的にも思われます。
歴史的に見れば、この三~四世紀頃のローマは複数の皇帝が現れ覇権を争いはじめるなど、後の東西分裂の混乱を見せ始める時期です。政治的な意味で国をまとめ上げ、一つの国家となれるような国家宗教を求めていたのは確かでしょう。
しかしこの時期は他にもミトラ教、マニ教、そしてローマ兵たちの守護神とされるソル・インヴィクトゥス(不敗の太陽教)など、ライバルとなる様々な宗教が登場していた時代でもありました。
恐らくですがこのキリスト教の普及には、それまでのヨーロッパ地域外に起源をもつほぼ独立した一神教であったこと、さらにユダヤ教のバックボーンを持ち、当時の知的階級との議論にも耐えうるような、深奥な文献的背景を有していたことが要因のように思われます。
ヘブライズム
現代でも一部の都市伝説や陰謀論に噂されますが、ユダヤの人々というのは教育に熱心で、奪われることのない知識、知恵というものを重んじていると言われます。
あまりそうしたステレオタイプで語ることもよくないのですが、歴史的に迫害や追放を受けてきた経緯もあり、彼らの聖典はしっかりと文字に映されて伝えられ、七十人訳聖書のような当時地中海で普及していたギリシャ語による翻訳聖典も存在しています。
つまり文字を読めるようなローマの知的階級からも理解を受ける下地があり、彼ら自身もある程度自民族の文化について多民族へ伝えられるだけの教養も有していたと思われます。
実際、前々回ではユダヤ人とは緊張状態にあったと書いたローマ側との関係ですが、紀元七十年ごろのユダヤ戦争までは、ユダヤ人の信仰や文化にもローマはある程度譲歩しその独立性を保っていました。
その後のキリスト教への弾圧やさらに後の独占的なキリスト教の国教化を考えても、国家と宗教というものは切っても切り離せない問題です。ユダヤ属州にその自由を認めていたのは、ローマ側からの彼らなりの理解の態度だと思われます。
そうしたローマやギリシャ文化から独立しながらも、彼らにとって容易に文書を手に入れて読むことの出来る独自文化。このような下地があったことは、キリスト教が後の世に広まった要因の一つではないでしょうか。
キリスト教がローマの国教化し、そうしたユダヤ教の文脈が重要な意味を信じられるようになると、このユダヤ起源の文化ヘブライズムはヨーロッパ文化の源泉の一つとして重要視されるようになりました。
それまでのヘレニズム文化
しかし同時にローマ側にはローマ側の文化もあり、しかもそれらは紀元前に大きく支配力を持っていたギリシャの文化をかなり直接的に継いでいます。
具体的に言うと、ローマが地中海沿岸地域を支配するにあたって、それまでその地域を支配していたギリシャ人たちを戦争で打ち負かし、彼らを教養ある奴隷として教師や会計士につかせてその文化、制度を吸収しました。
彼らが戦ったギリシャ人国家マケドニアは、有名なアレクサンドロス三世、通称アレクサンダー大王が領土を広げた王国で、彼を教育したのはまたも有名な哲学者アリストテレスでした。この万学の祖とも呼ばれる賢者の教えを受けたアレクサンダー大王や彼の同世代の部下たちは、瞬く間に東方世界へ版図を広げ、今に言われるヘレニズム文化を作りました
彼が夭折したのちマケドニアはだんだんと衰退していきましたが、先のような事情により滅ぼした側のローマへ多くのものを残してもいきました。
さてそのような偉大な王を教育したアリストテレスですが、彼の師もまたプラトンという偉大な哲学者であり、その師もまたソクラテスという伝説的な哲学者でした。
彼らの時代、古代ギリシャでは多くの神々が崇拝されていましたが、都市国家として成熟した文化を持つ彼らには、そのさらに過去からの神話で語られる神様という存在に少し辟易としてもいました。
彼らの神は彼らの時代から見てもたいそう古い起源を持つもので、その行動や倫理観にはギャップがあり、また様々な周辺の神話を取り入れすぎたためか、最高神とされる神のスキャンダルにまつわる話ばかりが目に付いたりもします。
彼らはそうした奔放な神よりも人間の理性の作用を重んじ、そうした理性によってより善いもの、美なるものを求めて彼らの哲学を発展させたのです。
この善く生きること、理性を重んじる哲学者の弟子であったアリストテレスは、それまでの神話的な解釈を含まない理性による科学的な世界の叙述を目指しました。
彼の著書「天体論」では、運動とは何かという事から宇宙について論じています。
彼の説では単純なものこそが最も物体の動きとしてふさわしく、一つは何かが落ちるというような直線運動、二つ目には星々の回るような円運動が存在し、それらが物体の本然的な動きであると定義します。
前者は何かに向かって落ちるという上には目的となる一点があり、それゆえに限定的な運動である。円運動に関しては、それが終わりもなく始まりもない運動であるゆえに、永遠的で最も完全な動きである、としています。
さらにはそうして何かに向かって動く本然的な動きを持つ”土的”なものが、その運動の目的となる部分で集まって球状をなし、今の地球があるのだとし説明しました。
そして土的な物体が一点への運動を行う性質がある以上、この地球が唯一の宇宙の中心で、その他の世界というものは考えられないこと。そうした地球の引力こそが、何かによって動かされなければ動かない物理的な運動の最初の力の作用であり、宇宙のはじまりのものではないかということ等々・・・
彼は論理的に思考を進めていくことで世界を解き明かせると考え、それまでの神話的な物語を廃し、論理的(ロギケー)な論法で様々な分野をまとめ一大学術体系を作り上げました。
「単純な動きのほうがふさわしい」あるいは「物体の本然的な性質がそうであろうから云々」という、先だって世界の在り方やものの存在を定義し還元的に解釈を加えていく彼の方法論は、様々な誤謬を含む一方学問自体にはっきりと方向性を与え、このような体系を作り上げるだけの説得力もありました。
彼の師やさらにその師であるプラトンやソクラテスも、善く生きること、徳(アテレー)を高めることを推奨し、この頃から長らくの間西洋文化の世界観では人間的な善いことというものが、自然世界からも見いだされうるものだ、という確信を持っていたように思われます。
人体の調和と宇宙の調和を結び付ける、ミクロコスモスとマクロコスモスという考え方。アリストテレスの考えたような四つの元素の組み合わせによって、完全な金属とされる金や不老不死の霊薬である賢者の石を作る錬金術思想。
またプラトンを始祖とするイデア論では、一者と呼ばれる善のイデアから現実世界の様々な諸物が作られたという仮説を立て、逆に物質世界から人の理性によってイデアのより良いものを感じとっていけば、いずれはその一者にたどり着けるのではないかという思想を持ちます。
これらはギリシャ・ローマの哲学者が思索のすえに考え出した思想ですが、後に彼らが出会ったキリスト教やユダヤ教の聖書にもいくつか符合するような思想が見られました。
神の似姿として作られた人でしたが、禁断の果実を食べて神の作った完全な世界から、今のような苦悩の多い地上に追放されてしまいます。しかしキリスト教の教えによれば、そうした苦悩の世界でも敬虔に善い行いを行っていれば、キリストを通じてその楽園へと戻ることができます。
それまでの人間的な面を強く見せる多神教の神々と自然というものよりも、自らが世界そのものをも創造した唯一神と人類という関係性の方が、こうした理性主義の世界観をうまく説明できたのでしょう。そのような理性主義を肯定するキリスト教、ユダヤ教の聖書が見いだされたことから、ローマの知的階級の人々にはそれがより正しいもののように思えたのではないでしょうか。
そしてまたキリスト教自身も、おそらく一世紀から三、四世紀ごろの成立時期に、こうしたギリシャ哲学・プラトン主義の影響を受けたのでないかと言われます。
「はじめに言葉(ロゴス)があった。神は言葉と共にあった。」とはヨハネによる福音書の冒頭の箇所ですが、このロゴスとはギリシャ語の言語や論理を表す語です。転じてイデアを指したり秩序、根拠、人間精神など様々に解釈される言葉です。
もともとギリシャ語で伝えられている新約聖書のこの編が、ロゴスという語を使用していること自体は、いたって普通の事に思われます。しかし他の三つの福音書に書かれている単に人間としてのイエスの生涯を綴った物語と、この「ヨハネによる福音書」は一線を画しています。
創世記にも書かれたこの世界の創造をロゴスによる作用だと再解釈し、この世界が理性によって形作られ、また解釈し得るものだと伝えているようです。この神とともにあったロゴスとは神自身にとっても分かちがたい力であり、キリスト自身とも解釈されています。
宇宙の抽象化
このように自分たちの世界、宇宙というものを自分たちに理解出来うるもの、人間の理性によって認識できるものだと考える場合、なにか目的を持つ物語的なモデル、あるいはシンボルによって描かれる幾何学的なモデルによって解されるものと思います。
「世界とはなんであるか」「我々はどこからきてどこへ行くのか」というのは哲学的な命題であり、そうして生まれた問いに形を持ってもたらされる答えも「なぜなら人は○○だからだ」というような人間にすんなり理解できるものが理想だからです。
もちろんそうした答えがそもそも人間の単純な知性や記憶ではとらえられないだろうとする立場もありますが、それら神秘的な智慧を象徴的に示したりそこに至る思索の方法をつたえるのには、結局は言語や図画によってでしかできません。
先にあげたアリストテレスの説では、火、土、水、風のようなものが、それぞれ一方に集まる、一方から離れるというような運動を行い地上での現象が説明づけられていました。そしてその重力の目的となる一点こそ宇宙の中心であり、私たちのような理性を持った人間が立脚し、様々な営みを過ごすべき場とされます。
かたや創世記のような神話では神という存在が、天と地とを分けてこの世界を造ったとされています。
創世記、一章の文を補いながら解釈していくに、宇宙のはじまりは天と水面に先ず分けられ、さらにその水を土とを分けて陸地を作り上げたという事でが読み取れるでしょう。
これらは先の地が一点に集まり大地をなし、より軽い水がその凹んだ表面に溜まり地球が出来ている、というアリストテレスの説における地球の生成のモデルと似ています。
そうして創世記での神は次々と自然物を作っていき、最後に人と人を当初暮らさせていた楽園を作ります。土くれに息を吹き込んで人を、命の木と善悪の知恵の木を中心に一つの川から四つへ別れた支流、ピソン、ギホン、ヒデケル、ユフラテを巡らせました。
この二つの木や四つに分けられた支流、さらには神が人のために園を造ったというお話は様々に解釈され、また他の神話などにも似たようなものが見られます。
北欧神話の世界樹とその根元の泉。シュメール神話におけるユーフラテス川のほとりに生えた世界樹の話等。これら水辺と木というモチーフは人間の生活の中でありがちと言えばそうなのですが、このように何度も神話に出て来たりそれに象徴的な意味が付与されていくと、特別なものと見なされたはずです。
泉、川、木、陸地となる岩や四方に広がる園や円系の領域というモチーフは、様々な文化圏の中で宇宙の中心、宇宙そのものとして解釈されます。
乾燥した地方であるアラブ諸国ではオアシスを中心として町が作られ、溜池を中心とした庭園が富裕層のステータスですが、ヨーロッパでもローマの水道橋から流れる噴水が様々な街の中心です。日本の枯山水もそうした流れをくむ庭園文化の一つとされますが、水の豊かな日本ではむしろ水を一切用いずにそうした宇宙の力学を見立てることが幽玄とされ、岩と砂利で構成されます。
こうした文化的文脈を鑑みると、古代トゥメル人たちの遺跡であるヤーナムの地下に、なぜ考古学のビルゲンワースが宇宙を探そうとしたのかわかるかもしれません。
ランダムなダンジョンとしても攻略できる聖杯ダンジョンはいくつかのパーツによって構成され、トゥメル遺跡の深部ではそうした庭園や広い空間の中心におかれた岩のモチーフが見られます。
このような自然的力の調和した空間、また力強い存在感を持ってその中心を占める物体は宇宙やその中心を表す代表的な象徴物で、神の作った園が原型だと考えられました。
またこうした自然が出来上がる前、混沌としたカオスの時代は天地がまだ分かたれていない、あるいは最初の陸と海が別れていない時代と考えられ、それはつまり泥のような存在だと解釈されます。
さらに土から分けられ息を吹き込まれ想像された人間は、神のような理性、知恵を含む存在であり、この宇宙や自然物を創る連続の最後に作られた存在でもあります。私たちがこうした自然からさまざまな感覚を得、理性によってそれを思推していくことは、神の創造に近づく過程なのです。
上位者の瞳を得ようとしたミコラーシュはおそらくこうした造物主の業を目指そうとして、原初の神の神秘にちかい”泥に浸かった湖”=”宇宙”だという観念を抱いていたのではないかと思います。
そして、こうした世界観を共有することは、その文化圏における宇宙的知恵を語らうための最初のインストラクションです。
先ほど紹介したギリシャの哲学者たちも余暇の時間を庭園で議論を行って過ごし、後年に作り上げたそれぞれの学園では豊な庭や運動場を作り、そうした中で弟子たちを教導したとされています。
世界軸というイメージ
しかしさらに神の作った園そのものに至る、その園に入って永遠に苦楽なく暮らす、あるいはその神秘的な知恵にふれるためには、真実の宇宙の中心であるエデン、神や一者のもとを目指さなければなりません。
ただ同時にそのような場が地上にない事は、これら宗教、思想の最初の段階でしめされていることでもあります。
この世が苦の多い不条理な世界である事は、ギリシャ神話しかりユダヤ教しかり、過去の人々の経験からわかっていました。むしろそうした不条理に対する疑問の数々こそ、こうした思想の立脚点です。
そうした不条理のない世界、完全な世界というものはこの世にはなく、キリスト教では神の王国は死後にもたらされるとされ、ギリシャ神話にも義人のいくエリシュオンという冥界の一部が存在します。
エリシュオンは神に愛された英雄のいくような神話的な場所で、西の海を渡った島だとされますが、イエスの唱えた天の国は誰しもが己の信仰によって入れうる場であり、天にいる神の御許だというのが特徴です。
そしてその場所は”天国””天の国”という名の通り、私たちの上空に存在するというイメージが持たれました。
このフレスコ画があるヴァチカンのラファエロの間には、他の様々なフレスコ画が描かれ、この正面には「アテナイの学堂」という、同じくラファエロの古代ギリシャ人たちを描いた絵が飾られているらしいです。
このように過去や地上、天上とをつなぐ三位一体であるキリストという象徴は、また概念的な宇宙の中心であり、世界軸とみなせるものです。
世界軸とは大地と天との接合点を示すようなシンボルで、多くの場合、山や木、梯子や柱などで表されます。西洋美術の世界では、キリストの張り付けられた十字架も、こうした世界軸の象徴だとされます。
皆さんはフロムソフトウェアの作品をプレイしていて、ふと水平線が見えるほどの広大な景色が開け、その周囲に樹木や岩、あるいは奇跡か魔法のような半透明なエフェクトで、無数の柱が生えている場面に出くわしたことはないでしょうか。
ダークソウルの初代のOPや、灰の湖、燻りの湖などの一部の場面。SEKIROの桜竜のステージでの、周囲に並んだ無数の桜の樹。最新作のエルデンリングでも、様々な場面でこうしたものは見られるものと思います。
こうした幾本もの柱は、なんとなくですがその一本一本がそれぞれの調和を持った世界(コスモス)の中心だというイメージを抱かせ、血痕やメッセージシステムのように、他の世界の存在を想起させるものではないでしょうか。
様々な神話における世界樹、天から差す光芒、ヤコブの梯子、雲の柱、モーゼが十戒を授かったシナイ山のような霊山。またフロムソフトウェア以外のゲームでも、こうした天地をつなぐ塔や山は世界観を表す象徴的なロケーションとして用意されます。私が見た中では「バイオショック:インフィニット」という作品にも様々な並行世界の象徴として、こうしたフロム作品のステージにも似た無数の塔がそびえるシーンが存在します。
ゴシックの塔が並ぶヤーナムの街はこうした人々の上昇の願望を宿しており、それはおそらく古代トゥメル人のある種の巨石信仰に由来するものと考えられます。
このような巨大な岩山、石によって神へと至れるという信仰はトゥメル時代から考古学を通じてビルゲンワース、医療教会へと引き継がれ、あるいは無意識のレベルでは現代のヤーナム人にも文化的に浸透していると思われます。
このことによって彼らのイメージの世界である悪夢では、割れた石から彼らのもう一つの神との交信の触媒である”血”が流れ出ています。そしてこうした石への信仰ゆえに、その石によって築かれた塔を上った天上の世界は、彼らが神と信じた上位者の眠る”聖なる楽園”へと続いているのです。
2022/05/04