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竜の教義Ⅱ:賛否両論あるスルメゲー

*この記事にはドラゴンズドグマ2またはその前作の重大なネタバレが含まれます。

へびは女に言った、「あなたがたは決っして死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開らけ、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。

「創世記(口語訳)」第3章 4-5節

さて突然だが、この記事を読むあなたに、三つの質問がある。

そのうちのひとつめはドラゴンズドグマ2は神ゲーであるか、クソゲーであるかということである。

前作から十年ほどになる、ドラゴンズドグマのナンバリングタイトル第二作。ドラゴンズドグマ2は、現在様々な意味で波紋を読んでいるといっていいだろう。

もしかするとあなたは現在あの独特のゲームシステムに面食らい、ドラゴンズドグマ2はクソゲーだと思っているかもしれないし、作品を取り巻く炎上などに戸惑って、あまりよくないゲームなのではないかと感じているかもしれない。

一方ではドラゴンズドグマ2は前作にも同様にあったシリーズのらしさをしっかり維持した作品であり、この令和の時代よくぞあの作品の正統的な続編を出してくれた、と舌を巻いている人もいるだろう。そしてそうしたドラゴンズドグマの作品性を信じる信者たちにとって、今作は問うまでもなく神ゲーなのかもしれない。

ただおそらく多くの人にとって、未だドラゴンズドグマ2はその評価の定まらない、よくわからないゲームなのではないかと思う。

ゲームとしてのアクション部分は流石のCAPCOM製であり、キャラクター・エネーミーともにしっかりしている。あのオープンワールドの複雑な地形で、様々な異形の怪物と入り乱れて戦うさまは、このシリーズに唯一無二の部分である。

しかし一方で、どこまでもかゆいところに手が届かない、あの良くも悪くもドグマらしさは健在である。昨今のわかりやすく面白いゲームが多い中、ストーリーについてあまり腑に落ちない感じがしたり、システムがなぜか不便なままになっている。

どうして開発はこんな設計でつくったのかとは、このシリーズを遊ぶ人々が一度は疑問に思うのではないか。

さて、ではそうしたどうにも腑に落ちない感じを覚えている方々に、ふたつめの質問をしたい。あなたにとってそのあなたの人生は、神ゲーだろうか、クソゲーだろうか。

この質問の答えも、また多くの場合答えにくいものだろう。

なにしろこの記事を読んでいるすべての人が今だ人生の道半ばで、その人生の意味や目的というものを、確信してそうだと言える答えにたどり着いていない。人生というものは多くの場合不条理で、必ずしも良い行いや努力が報われ、悪い行いや怠惰が罰せられるわけでもない。

おそらく、そうした不条理な人の人生というものを歴史上の過去の人々もまた疑問に思い、宗教や哲学を考え出したのではないだろうか。

例えばキリスト教では原罪によってそのような不条理な世界に堕ちた人々を救うため、神がまた自身の一部とも言える、イエスという救世主を地上に贈った。

また日本のような大乗仏教では、そうした苦の多い人の性を救うため、釈迦の至った悟りという境地から菩薩というような存在がまたこの現世へ降りて修業をし、人々の煩悩を払えるように教え導くという信仰がある。

そして「神は死んだ」の言葉で有名なニーチェなどは、永劫回帰といわれる独特な人間存在を悲観する世界観を述べたうえで、しかしその不条理で無意味なはずの人生を、それでも楽しみ前へ前へと進み続ける”超人”なる存在を考えだした。

私たちは私たち自身のこの人生を、神話や科学的・経験的な予想の中から俯瞰して、どうにかその意味づけを行おうと考えるものである。

ドグマレビュー

さて、ではそうしたいみでこのドラゴンズドグマ2というゲームを俯瞰して考えるため、まず以下の動画を例にとりたい。

今回この記事でなぜこの動画投稿者けまい氏のレビューを参考にするかというと、私自身決して他のレビューを多く見たわけではないのだが、少なくともこのレビュー動画ではしっかりと今作の良い点悪い点を整理して挙げてくれている、という点がある。

そして、これは非常に個人的な観点だが、このけまい氏は以前に他のタイトルのレビューや攻略動画から拝見していた縁がある。

結果的にそのゲームは様々な不具合やその対応、その後の開発側のいざこざによって今では世紀のクソゲー的に語られるタイトルとなっているが、氏はそうした様々な点を批判しつつ、ゲームそのものはしっかりと評価したうえで語っていた。ある種、同じゲームに振り回され良くも悪くもそのゲームを記憶している同士として、陰ながら彼のレビューには個人的な信頼を置いているという次第だからである。

さて、彼のこの動画で指摘されており、今回自分が話題としたい主なドラゴンズドグマ2の問題点は以下の五つ。

  • ファストトラベルが自由に使用できない。

  • ストーリーが説明不足。

  • リスポーンとセーブの問題。

  • デスペナがきつすぎた。

  • 竜憑き。

動画には他にも「UIの問題」「移動中のスタミナ」「最適化不足」というような問題も挙げられているが、移動の不便さはファストトラベルの問題の一つと数え、またUIや最適化の問題については今回の記事では扱わないものとする。

ファストトラベルが自由に使用できない

さて動画に言われるように、まずファストトラベルが自由ではないという部分は昨今のこうしたオープンワールドのゲームとして非常に大きな問題である。

ファストトラベルの制限によって、ゲーム部分の大半はプレイヤーの期待するストーリーの進展や強敵との出会いといった部分よりも、退屈な徒歩での移動に費やされてしまう。

しかし、ドラゴンズドグマは実際のところゲーム内のアイテムによるファストトラベルシステムは存在しており、そのトラベル地点をまた対となるアイテムの設置によってユーザー自身が指定できるという部分は、むしろ設定等を含めこのゲーム特有のユニークさともいえるだろう。

また二作目となる今回ではゲーム内の金銭を使用しての牛車のようなシステムも存在し、その途中での襲撃等少々面倒な要素もあるものの、様々な角度から移動の不便さに介入する要素は増えている。

さまざまなタイトルでのQoL・ゲームプレイの快適さが一つの評価軸と見なされる昨今。しかし、こうしたある種移動の不便さそのものを題材とした「デスストランディング」のようなゲームも出ている現在で、この要素をとってドラゴンズドグマ2の絶対的な不満点とは言えないだろう。

面倒なことは面倒だが、それを含めてゲームプレイにおける好みの問題ではあるだろう。ただし後述する有料アイテムセットでの、こうしたアイテムの販売については、少しばかり引っかかる部分は無いわけではないが。

ポーンたちも不満を漏らす牛車の不便さ。
せめて馬に乗れればもっと移動は楽になるだろうが、なぜかこの世界に馬はいない。

ストーリーが説明不足

次の問題はストーリーの説明不足だが、この部分についても自分としては強く批判は出来ない点である。

なぜなら動画撮影当時のけまい氏がそうであるように、今現在の自分も未だ数十時間のプレイ経験しかなく、一応の一週目を終えたばかりというありさまだからである。やはりすべてを見ていない現状で、このストーリーの問題に深く語ることはできないだろう。

ただ、そうした浅い視点で現状のこのゲームによるストーリの印象を述べるのなら、確かに様々な点で説明不足の問題は実際にあるとは言える。

これが決定的なストーリーへの批判ではないという注釈は入れておくが、事実このゲームでは本編のストーリやそれに付随する様々な設定への説明が、ただ淡々と進めている限り不足している。

周辺的なサブクエストを行うことで、多角的に見ることが出来るのだが、必ずしも受ける必要のない・また必ずしも見つける事の出来ない、そうしたサブクエストを抜いての、このゲームのストーリーは非常にあっさりとしたものであることは事実である。

またそうしたサブクエストの進行も、プレイヤーが能動的に探索やNPCとの会話、ときにヒントが明示されないままの謎解きを行わなければ、クリアできたとしてもいい結果にはつながらない。

ある人物からの依頼を善意で進めていたとしても、その依頼主も知らなかった事情で不幸な結果に陥っていまうという場合もあるし、場合によってはその人物の悲惨な末路が、他のNPCの後の会話でさらりと描写されて終わりということも少なくない。しかもメインストーリーが進み終盤になれば、そうしたNPC達の事情など関係なしに世界の危機と直面するため、クエストそのものが単に自然消滅してしまうという場合もある。

結果としてゲームストーリーの様々な部分が描写されないままにエンディングをむかえ、どのようなゲームだったかそもそも分からないまま、なんとなく戦闘の凝ったアクションPRGとしてこのゲームを終えることも多いだろう。

そのような場合、それなりにゲームを楽しめたとしても、ストーリー部分はプレイヤーを置き去りにして終盤やたらと壮大になる、似非ダークファンタジーと思われてしまっても仕方がない。

それがドグマといえばその通りだが、不満な人にとっては大いに不満な点だろう。

クエストに詰まったときに託宣へ赴くと、大抵この文言が返される。
明らかにクエストマーカーが出ている時は、いちおうその目的を指して教えてくれる場合もあるが、そうでない時こそヒントが欲しい。

リスポーンとセーブの問題

しかしいざそうしたストーリー部に真摯にあろうと、この世界の様々な場所をファストトラベルなしに頑張って冒険しても、セーブとリスポーン周りのシステムによって、その数時間の頑張りが無に帰してしまうことがある。

詳しく説明するよりは先の動画等で見てもらった方が早いのだが、ようはこのゲームには任意でロードできる複数のセーブスロットが存在せず、自動でセーブされるメインのセーブスロットと、詰み防止のために直前の宿屋で保存した裏のセーブスロットのどちらかを選択してコンテニューするシステムなのである。

実際のところ、基本は通常のメインスロットを選択していれば、ゲームは好きなところから続きを遊べ、別段問題はないことになる。

しかし、何らかの事情から宿屋でのセーブをロードした場合、強制的にメインのセーブがその宿屋でのセーブデータに上書きされる、という暗黙的なこのゲームのシステムが問題となる。

どうやら動画のけまい氏もやってしまったようで、自分も一回やってしまった。

ある町の宿屋から冒険に出てしばらくキャンプなどで最大体力を回復して長時間遊んだ後、何かのアクシデントによって少しやり直したいと思い、前の宿屋からのセーブ状況を確認しようとロードすると……無慈悲にその冒険のデータは上書きされてしまう。

あくまで宿屋でのやり直しは緊急的な詰み防止のようなもので、そのセーブと最新のセーブのどちらかを選んで、自由にロードをして進行状況を操作するという自由は無い。冒険は必ず直線的な一続きとなり、どうしてもという状況以外やり直しを許容しない、ということらしい。

そしておそらくこの説明を、実際にやらかしてしまった人以外あまりピンとは来ないように、このセーブとロードの関係は体感しなければ理解しづらい。

いちおうはゲーム内でこの仕様に関するチュートリアル文は出ているが、その文章でこうしたやらかしを防ぐことは難しいだろう。多くの人がセーブスロットが一つしかないという点で不満をもらしているものの、その実おそらくはもう一つの宿屋との兼ね合いで、その一つしかないはずのセーブデータが上書きされた、というトラブルが主ではないだろうか。

この仕様がマジで分からないと言う人は、一度しっかりと街の宿屋で止まった後(フィールド中のキャンプではダメ)やり直しになっても問題ない程度冒険した後、一度タイトルまで戻って宿屋のデータをロードして見てほしい。

もしもこの仕様を理解しないまま、次の項目などの問題である程度進めた途中からやり直してみようと宿屋ロードを行った場合、おそらくあなたはドラゴンズドグマ2を一度はクソゲーだと思うだろう。

直前から再開するか、最後に休息した宿屋から再開するか、という二者択一。
いちおう直前から再開を選べば、最後の宿屋からのセーブは保持されるが、一度後者を選べば直前からのセーブは容赦なく上書きされて消えてしまう。

デスペナがきつすぎ

さて、ではその宿屋ロードとも関係する、デスペナルティの問題である。

このゲームで一度死亡してコンテニューし、上記のセーブ方法の宿屋ではない直前での冒険データのロードを選ぶと、デスペナルティとして最大HPが減ってしまう。

もちろんそれは永続的なHPの最大値ではなく、ロスゲージと呼ばれる通常の回復アイテムや回復魔法で回復できるHP回復上限のことではあるのだが、それは一部の特殊なアイテムか宿屋・キャンプでのゲーム内時間を進めての回復という手段でしか回復できない。

だから、あるセーブポイントで死後のデータをロードして、また同じ強敵に挑むと高確率でまた負けてしまう。そしてそのままの状態で再度挑んで死亡&ロードを繰り返すと、どんどんとその回復上限の最大HPは減少していってしまう。

そういう訳でこのゲームではいわゆる死にゲー的やり直しでのボス攻略は許容されず、その場で勝てなければ大人しく次は違うルートやその道を引き返して戻る、あるいは前述の宿屋ロードをするしかない。

しかし、上記の通りそうした冒険を経ての宿屋ロードはそれまでの冒険を不可逆に消し去ってしまうため……主にストーリーの佳境に入っての強敵など、いいところまで進めて死亡&ロードのやり直しにハマり最大HPが減り続けた場合、あなたはこのデスペナルティシステムを持つドラゴンズドグマ2はクソゲーではないかと疑いはじめるだろう。

そして一度宿屋のほうのセーブデータからロードして、どれくらい前のデータが保存されているかを確認しようとし、やはりドラゴンズドグマ2はクソゲーである、と確信する。

そういうわけで、このデスペナルティシステムは一見地味だが、非常にプレイヤーにストレスを与える要因である。

大事なことなのでもう一度。
ロスゲージが累積し進むのにつらい状況でも、いったんそこから離脱する方法を考えて、なるべく宿屋からのロードは最終手段にしておきたい。たいていの場合、最後の宿屋がいつ泊まった時のセーブデータかなど憶えていないし、それを確認する方法もない。

竜憑き

最後の竜憑きというシステムは、おそらくこの記事を見つけるような、もはやネタバレを気にせずドラゴンズドグマ2の情報をインターネットで見ているあなたは、Xや他の記事で十分にその概要を知っているはずである。

どうやらこのゲームには”竜憑き”といわれるオンラインでのポーン(従者)システムを介した地雷的なシステムが存在し、それに気づかないまま街の宿屋などで宿泊すると、かなり致命的な被害が起こる……らしい。

というのも、さんざん話題になっているこの竜憑きに、私自身は未だ遭遇しておらず、なぜか一度何でもないようなタイミングでそのチュートリアル画面を見た以外、その後特に被害もポーンの異常行動のような影響もなく一週目を無事クリアしてしまったからである。

結局、本当のところはこのシステムがどのようなものかは分からないまま、何とも肩透かしのように竜憑きの情報だけをこの動画のような注意として聞いているだけなのだ。

ただ、話を聞くところではその被害は酷いもので、竜憑きに遭ってしまった場合、その回避方法も現状ではゲーム的に面白いとは言えないような、なんとも無味乾燥とした対応を取るしかないということらしい。

なぜこのような、悪辣とも言えるシステムを用意したのか。

この記事を書くにあたって、自分としてはなんとなくその実装上の理由をいちおう考えてみたものの、それにしても聞く限りではプレイヤーに対しあんまりなものだとは思う。そして、聞く限りゲーム的に何か面白いものがあるわけでなく、興味はあるが出会うことないプレイヤーや、興味もなく十分な情報を持たないプレイヤーが、覚悟のないまま出会ってしまうシステムのままこれを実装してしまったのか。

ゲームの感想・レビューというものは、そのプレイヤーが思ったままを言うべきである。

だからプレイヤーを不快にさせる、また困惑させるシステムをあえて実装し、そのプレイヤーがその後のプレイでもそのシステムを飲み込めないような類にものなら、そのシステムは明らかにそのユーザーにとっての不満点だと言っていいだろう。

その後、一度だけ竜憑きの感染は確認できました。
拡大すると見やすいが、明らかに目が赤黒くひかっており、まだ口調は丁寧なもののダークサイドに堕ちつつある。

世界のループと周回内での一回性

さて、上記の問題はその性質の種や問題の大小はあれど、ドラゴンズドグマ2の主だった不満点である。

人によっては、このことをもってドラゴンズドグマ2はクソゲーだと評価し、そして開発側はこうした明らかに調整不足なシステムを直ちに改善すべきだ、という論調によって語っている。

もちろんそれ自体もそのプレイヤーの立派な感想であるし、その意見までを否定することはできない。

しかし、おそらくドラゴンズドグマ2という作品は決して調整不足で上記のシステムを採用したわけではなく、あえてプレイヤーの不満を覚悟して、こうしたつくりに設計されているのではないだろうか。

プレイヤーが今までの冒険を破棄した上で、新しい冒険を始めたいというようないわゆるNEW GAMEメニューの追加。また今までの冒険のを維持したまま、プレイヤーキャラクターやポーンの見た目を変えたいという需要のためのゲーム内アイテム「転身の秘術」の購入条件の緩和。

これらのアップデートはドラゴンズドグマ2発売後間もなく、プレイヤーからの声に応えて行われた。

そしてこのドラゴンズドグマとおなじく、同社のファンタジー世界における大型ボスとの戦闘を目玉としたモンスターハンターシリーズでは、ナンバリングを重ねるごとに同作品の世界観を維持しつつ、多くのユーザビリティの改善を行いいわゆるモンハンライク・「狩りゲー」と呼ばれるゲームジャンルでは他の追随を許さない人気タイトルとして親しまれている。

だから別段CAPCOMは、こうしたプレイヤーの要望に決して無頓着なわけではないだろう。そしてそのCAPCOMが前作にも同様に批判の多かったシステムを踏襲し、ドラゴンズドグマ2をこうした形で創り上げたからには、それなりの理由があるはずである。

考えるに、おそらく先のようなシステムの採用は、まず第一にこのゲームのプレイを一回性・非再現性の高いものにしようとしているのではないか。

セーブデータが一つしか作れないというゲームは数あれど、今作のように最新の自動セーブスロットが、それ以前からのセーブポイントのセーブデータと二者択一となるシステムは珍しい。

このようなセーブデータの制限を持つゲームの多くが、ドラゴンズドグマと同じくオンライン上での相互の評価システムを持つために、セーブデータ=ゲーム上のアカウントという扱いになり、いわゆる複垢禁止の意味で新しい複数のセーブデータを禁止するという場合は多い。

しかし今作ドラゴンズドグマ2では、明らかにそれ以上の意図をもって上記のセーブデータ方式をとっていることは明らかである。

そしてそれは、このゲームが採用しているデスペナルティシステムの問題と考え合わせると、プレイヤーのメタ的なやり直しを否定し、しかもそうして上手くいかなかった場合のプレイヤーの失敗を、プレイヤーに認めさせることを意図しているように感じられる。

さきに述べたように、このゲームではシステム的なコンテニューを行うと、最大HPが減らされる。しかもその回数は累積するので、同じ敵に何度も挑んで戦い方を覚えて勝利する、ということは難しい仕様となっている。

一方ではその戦いの中でアイテムによる回復や、ゲーム内のコンテニューアイテムによる死亡からの復帰は容易にでき、リソースやキャラクターの強さが足りている場合、モンスターに負けるということはむしろ少ない。このシステムは、プレイヤーがそうした不用意な強敵との戦闘を行った場合「それでは勝てないからいったん負けを認めろ」ということを暗に勧め、死にゲー的戦闘のやり直しを否定しているわけである。

しかし、そうした一回性を強要されたプレイの中で、このドラゴンズドグマがどのような冒険を提示するかというと、その一週目のプレイでは多くの人が満足な結末を迎えることはすくないだろう。

指摘されているストーリーの説明不足という点は、多くの人にエンディング後の消化不良な感じを与え、いくつかのサブクエストはそもそも初見で進めていてはバッドエンドを回避できないような話運びとなっている。

さらには、ファストトラベルの不自由さや先にも述べたデスペナルティの問題は、リソースやレベルの足りない一週目でのそうしたクエストのための自由な探索を狭めており、竜憑きは明らかな初見殺し的システムである。

このゲームでは熱心なプレイヤーが初見で様々な試みを行おうとするたび、無理な行軍でのリソースの消費、クエスト中の地雷的な選択肢、多くの野良ポーンとの接触による竜憑きの感染・発症といった、失敗のリスクが高まってしまうよう設計されている。

このように並べていくと、まさにドラゴンズドグマ2はゲームの不便さと挑戦的な難度の設計を混同したクソゲーだが、そこを乗り越えてさらにこのゲームと向き合ってみると、実のところそうした単純な評価は間違いではないか、と思えてくる。

ストーリーの終盤から、突然ほとんどのサブクエストの進行は即座に破棄され、ようやく拝むことのできる「DRAGON'S DOGMA Ⅱ」のロゴとともに、それまでのどこか牧歌的なファンタジーの世界は崩壊を始める。

すると先に挙げた様々な不便だが一応の配慮はあるゲームバランスも崩れ去り、牛車・道中のキャンプが使用不能に、移動できるマップ部分は広がる半面、強敵が多数出現。そしてイベント状況がHP最大値の回復手段である、宿の宿泊によって勝手に進んでしまうようになる。

おそらく初見ではこの状況を理解するまでに、一つ二つの地域やそこに住む人々を犠牲にしてしまったのではないだろうか。

やがて終盤へと進んで行くストーリーの中で、この世界を俯瞰して眺めている存在が仄めかされ、その存在に決定的な影響を行わない限り、この世界の運命は変わらないのだと知らされる。そしてゲーム終盤、そのように変わってしまった世界の原因は、主人公がこの世界の秩序を破壊してしまったためだとも突きつけられる。

自分がたどり着いたエンディングでは、このどうにも釈然としない説明を受け、イベント戦を行うことで終わりとなった。

そして二週目の世界へ入り進んで行くと、すれ違ったポーンに突然言われる「またこの世界に戻ってきたのですね、流石は覚者さま」。じつのところ、このドラゴンズドグマは、登場人物がこの一連の物語をループをしているというメタフィクションだったのである。

クエストやストーリー部の説明不足も、プレイヤー自身が何週かゲームをプレイして補うか、ポーンたちの口にする異界の知識によって補っていくか。

そして、セーブデータの二者択一や低レベル時のリソースの不足、一部明らかに特定のジョブでしか通過できないor一部のジョブでは攻略不能な箇所等。そうした正解に必ずしもたどり着くことが出来ないレベルデザインは、この世界をメタ的な手段で攻略していくことを前提としたものである。

それでもどうかと思う点

実際のところ、こうした二週目三週目を前提としたゲーム設定を、そもそも面倒なゲームだと感じてしまう人もいるだろう。しかもこの移動な面倒なオープンワールドのゲームで、二週目の歯ごたえがない序盤を何週か遊ぶというのは、苦痛である。

自分としてはその部分が少々不満で、少なくともこの二週目序盤に気を付けて、もっと挑み甲斐のあるアクションゲームとして応える必要があったと思う。

今回では前作のエヴァーフォールや黒呪島、またウルドラゴンのようなエンドコンテンツがない……いや、自分がまだたどり着いていないだけなのかもしれないが、すくなくともそこへのわかりやすい導線というものも、ハードモードのようなものも用意されていなかった。

もしこれ以上のエンドコンテンツ的なものが無いのならやはりボリュームとしては物足りないし、あるにしてもそれなりのキャラクタ強化を済ませた二週目のプレイヤーが簡単にそれにたどり着かない、という仕様も問題である。

あるいはそうしたコアユーザー向けのコンテンツは後日のアップデートで行われるのかもしれないが、元々そうしたアクション好きなコアなファンの多い、また二週目三週目を前提としたこのゲームにおいては、難度の高い挑戦しがいのあるコンテンツへは、すぐにアクセスできるようしておいてほしかった。

そして、そうした難度の問題ともつながるが、ファストトラベルが制限され世界を簡単に移動できないという不便さをあえてプレイヤーに強いているこのゲームの設計の中で、これはあまり褒められたものとは言い難い。

べつに自分は、今や様々な自称無課金で遊べるソーシャルゲームで様々なガチャが売られている昨今で、ドラゴンズドグマ2のこうしたゲーム内アイテムの販売を、わざわざ取り沙汰して儲け主義だと言いたいわけではない。しかし、先にも述べてきたように、このゲームの不便さはある種プレイヤーをこのゲームに腰を据えて挑ませるため、賛否両論を覚悟してあえて前作から踏襲したものではなかったのか。

他の武器や回復アイテムなら自分は別段気にならないが、この礎をゲーム外の金で売ってしまうのなら、CAPCOMは儲けるためにファストトラベルを実装しなかったのでは、とユーザーに誤解されてしまっても仕方がない。

自分はこのゲームの不便さにプレイヤーがいくらか介入できる、礎と飛石のシステムを評価しているが、だからこそその要となる礎の販売は安易にするべきではなかったと思う。

飛石だけだったら、まあ……セーフかも。

竜の競技

閑話休題。さて、上に語ったようにこのドラゴンズドグマ2を、メタフィクション的なゲームとして改めて考えてみるとどうだろう。

このゲームのストーリーは、時系列としてはある村にいた主人公が襲って来た竜に挑み、その意志を認めた竜に鼓動を奪われ、覚者として選ばれたことが発端である。しかし、その時の致命的なほどの火傷の再生の力から、彼が目覚める前にすぐさま覚者であることが周囲に知られ、何らかの力によって記憶を奪われポーン奴隷としてバタルに売られてしまっていた。

ゲームを通した物語の大半は、この主人公が自らが覚者であることを思い出し、ヴェルムントの王に返り咲くための活動を主として描かれる。

さて、この王=国や領域・世界の支配者という立場は、このシリーズでは覚者の可能性の存在として提示されている存在である。

前作の登場人物、もと覚者であり過去に竜を退けたと言われるグラン・ソレンの王エドマンは、じつのところ覚者として竜に挑んだものの、最後の闘いの前に自らの愛するものを竜に捧げた過去を持ち、バッドエンド後の主人公とも言える人物であった。

また主人公がそうした選択肢の後に竜を倒し、その後そのドラゴンズドグマの世界を超越者として支配することを選んだ場合、界王という神のような存在となりその世界を見つめ続けることになる。

この世界の王という存在は、自身の壮絶な経験を通してしった世界の不条理・混沌から、それにたどり着くことのないより力のない存在を、保護する役割を持つのである。

今作ドラゴンズドグマ2でもそうした設定は健在のまま、しかし、さらに界王となるもその運命さえも拒絶したロセイエスという存在を加え、物語はもう一段広がったとも言えるだろう。彼によればこうした竜と覚者・界王といった世界の外に、さらにこの世界を観測し続ける”見る者”という存在がおり、彼らの世界はその見る者を楽しませるための一種の劇の中の世界だということらしい。

そうした竜と覚者・界王の輪廻の仕組み、そうしたこのシリーズの反語的なテーマ「ドラゴンズ・ドグマ」に疑問を抱き、覚者であることをやめた人物、また覚者ではないがこのドグマに挑んだ人物というのが複数出てくることも、今回さらに世界観的テーマが広がったことの特徴だろう。

前作では竜に選ばれながら彼に挑むことも生贄を捧げることも拒んだ、竜識者が唯一第三者的な覚者としての主人公への助言者だったが、今作ではさらに覚者専用ジョブのマスターとして幾人かのもと覚者が登場。そしてストーリー前半部で黒幕的な暗躍を見せるファズスというバタルの学者は、自らは竜に選ばれた覚者ではないのにもかかわらず、この世界のそうした仕組みについて知り、それに立ち向かおうという人物だった。

前作では、ある意味でプレイヤーキャラクターのみに背負わされており、そして重大な世界設定の秘密であった「ドラゴンズ・ドグマ」が、今作では相対化され、より基本的な設定として作中世界に明確化されたといえる。

しかしでは、このドラゴンズ・ドグマとよべるこの世界のルールそのものに、立ち向かう方法というのはあるのだろうか。

ロセイエスによれば、このドラゴンズドグマというゲームの世界は”見る者”と呼ばれる存在のための劇のような場であり、このドラゴンズ・ドグマというルールはいわばその劇の筋書きともいえるものである。この世界における竜と覚者の闘いのフェーズによって様々な物事は進んで行き、人間界の王や竜識者といった人物との対峙によって覚者が自らの使命を自覚するという段階、彼が世界の様々な様子を見聞きし同時にその破壊者でもある竜という存在を認識するというような段階によって、ゲームそのものも進んで行く。

今作ではさらにロセイエスやファズスのような、ドラゴンズ・ドグマそのものやその奥にいる”見る者”と戦おうと考える人物も出現し、同じようにプレイヤーはそうしたドラゴンズドグマの世界観の背景を通して、ドラゴンズ・ドグマというルールそのものを、具体的なものとして認識しなければならない。

さて、世界が一種の劇中劇であるメタフィクションとしてのドラゴンズドグマのストーリーにおいては、プログラム的にそうした世界観を語ってくれるロセイエスやファズス自身も、どうしようもなくこの物語のNPCである。

その中でも、むしろ彼らはかなりシステム的に保護されたキャラクターであり、モンスターの街への襲撃やプレイヤーの気まぐれによって殺されるという場面はほとんどない。その他のNPCは、クエストの選択肢やモンスターの襲撃、護衛クエストの道中での戦闘やクリエイター側の悪意とも言える竜憑きによって容赦なく死んでしまう。

もちろんプレイヤーが彼らを注意深く守るということでも、そうしたNPCを助けることはできるだろうが、そのようにプレイヤーに注意を向けられない役割や、もともとの役割に好感が持てないNPCではそうはいかないだろう。

あるいはプレイヤーがそもそも関わらず、そうしたNPC達のいる街に近づかないという方法はある意味もっとも彼らの生存率を高めるが、それではその場合、彼らNPCの存在意義というものは何なのだろう。

ロセイエスはこの世界そのものを俯瞰して眺めている”見る者”という存在にあからさまな敵意を持っているが、もしもドラゴンズドグマの世界がそうした劇中劇の世界ならば、その中のロセイエス自身を含めたNPCの存在意義は、その観客である”見る者”に目を向けられることである。まさに終盤の”加護なき世界”の荒涼とした有様は、そうした観客に見られることのない物語世界の無意味さそのものを反映させた表現だと解釈することも可能である。

結局のところ、ドラゴンズドグマの世界がある観客のための物語の世界であり、しかもそうした観客の評価は非常に冷徹で残酷な面を持っているとは、否定し得ない事だろう。

私たちは、例えばあるクエストであるNPCが我々にとって好ましくない態度を見せていれば、そのNPCをクソ野郎だと断じて彼に都合の悪い選択肢を選ぶだろう。もちろんその評価は、そのクエストの話運びで変わることもあるだろうが、その結果としてまた別のNPCを敵視するということにつながる。

そして全体としてそのクエストを提供するゲームそのものが、自分にとって好ましくないと感じると、私たちはそのゲームそのものをクソゲーだと断じてしまう。

こうしたあるものを総合的に、そしてデジタルに良い・悪いという評価においていくことは、私たちが何かを考えるうえで基本的なことでもあり、そのルールから外れて何かを考えるということはできない。そしてそうしたルールの中で、私たちの考えるあらゆるものは私たちにとって規定され、形や概念を与えられて私たちの物語の中に登場する。

魔王と勇者、姫や王様、宰相や商人。そうしたある種のキャラクター・記号的役割を与えられることで、物語の存在は一種のモブから登場人物として引き立てられ、観客は彼らのために物語が良い結末を終えられるように期待する。

しかし、その中の主役のようなストーリーを一見能動的に動かしているような存在であれ、実際にはその物語を本当の意味で変えてしまうことはできない。あるいは角や翼、蛇のような狡猾さを持つ恐ろしい竜でさえ、そのストーリーをすべて壊してしまうほどの力は持たない。

彼らは彼らに規定された役割があり、その枠から外れて存在することはない。そしてそうした存在達が真に報われる場面とは、そのような彼らの描いてきた物語が、それを見る観客たちの胸をつよく打つ瞬間だろう。

第三の問い

私としては、この記事でドラゴンズドグマ2のディレクターを務める伊津野英昭氏が、今作を「異世界転生シミュレータ」と語っていることが印象的である。

あの作りこまれたドラゴンズドグマ2の世界の中で、「異世界生活シミュレータ」でも「異世界冒険シミュレータ」でもなく、そして「異世界英雄シミュレータ」でもない「異世界転生シミュレータ」。

もしもあなたが、ファンタジー世界の主人公に生まれ、しかしその冒険の中
で助けられなかった人々がいたとしたら、次はどんな来世を望むだろう。

もしもあなたが、その裏設定さえも詳細に知っている大好きなファンタジーゲームの世界に転生したとしたら、どんなふうに振舞ってその世界のだれを助けたいと思うだろうか。

さて長くなってしまったが、これが最後の質問である。

あなたがもしもこのドラゴンズドグマ2の世界で、自分がその世界の本当の姿・すべての物事を知る真の覚者として目覚めたとき、あなたはこの竜の競技をどのように遊ぶことが出来るだろうか。

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