ブラッドボーンと西洋文化の血脈 5
善いものを理性により感じ取りイデアに至ろうとするプラトン主義から、信仰を貫き神のみもとへと至るキリスト教神学へ。
古代から伝えられる宗教、思想をとりこみヨーロッパの宗教的権威となったキリスト教ですが、皮肉なことにさらに後の時代ではこの理性やより正しいものを見出そうとする思惟の結果、彼ら自身の権威を損なう時代へと向かいました。
前回
コペルニクス的転回
私たちがオドン教会のエレベータを上り工房の塔を上ると、医療教会の上位会派の一つ「聖歌隊」の残した奇妙な手記を見ることが出来ます。
それまで考古学の学者集団であったビルゲンワースの遺志を継ぎ、医療教会は地下のトゥメル遺跡に”宇宙”を求め探索を続けていました。
もちろんこの宇宙とはいわゆる成層圏外アウタースペースを指すものはないでしょうし、地下の墓場にブラッドボーン本編世界とは別の並行宇宙が存在するという意味でもないでしょう(たぶん)。前回考察したように、この”宇宙”とはあくまで世界の秩序の象徴やその中心を表す思想、コスモスの象徴概念を示すものだと考えられます。
しかしだからこそ、その象徴的意味であるコスモスあるいはゴースという名で信仰されていたかもしれないそれを、伝統に反して「空にある」と唱えるのは妙ではないでしょうか。あくまでその象徴としての地点が地下にあるか空にあるかという問題は信仰上のイメージの問題であって、血の医療による救いを求める医療教会としては枝葉の問題のようにも思われます。
信仰として重んじるべき伝統的解釈をあえて否定し、真っ向からそれに対する説を唱えたことは何故なのでしょう。
聖歌隊がこのように「宇宙は空にある」と唱えるからには、それが単に突然の気づきによりそう思ったからという理由以外にも、なにかそう考えるだけの論理的な理由、さらにはそう考えることではっきりと説明がつく”宇宙地下説では解決しえない問題”を、彼らが発見したからではないでしょうか。
おそらくこうしたブラッドボーンの描写は、皆さんも薄々は感じるであろう通り、現実にも起こった”地動説”と”天動説”の論争がその元ネタだと思われます。
以前にも説明した通り、古代ギリシャのアリストテレスはこの地球の中心、つまり私たちの真下にある地下の一点を宇宙の中心であると考え、天動説の大筋の理論を構築しました。また実際の細かい説明は、後のプトレマイオスという天文学者が観測方法や幾何学的説明を「アルマゲスト」等に著わし、それが長年の定説となっていたのです。
こうした私たちの暮らす大地が物理的な宇宙の中心だという考えと、キリスト教の人を作った神が世界を創造したという世界観は一部似かよった部分をもち、互いの理由と目的の関係を補ってくれる説ともなりました。歴史上こうした説が長らく信じられた理由は、こうした宗教と彼らの天動説との親和性があったからではないでしょうか。
一方コペルニクス、ガリレオの唱えた地動説ではそうした問題に真っ向から対立する考え方でした。
しかし時代とともに進んだ観測技術や数理的な裏付けから、そちらの方がより正確ではないかという考えが次第に広まっていきます。彼らの残した詳細な観測や地球上での物体の動きなどから考えられた運動の法則、そしてニュートンのひらめいた万有引力という考えによって、地球が動いているという説とそれに基づいた正確な太陽系モデルが考えられていったのです。
当初はガリレオが異端の疑いで裁判に掛けるなどこの新しい見地に批判的だった教会ですが、彼の生きていた同時期にユリウス暦からグレゴリオ暦に改められるなど、より正確な天文学/占星術をもとめる興味や熱意は、そもそもカトリック教会自身が強く持っていたものでした。やがてそうした教会の周辺の学者たちが、伝統的解釈に縛られる教会を追い抜くように思索を推し進め、このような宇宙的な真実に気づいていったのです。
やがてソクラテスやプラトンが推し進め過去の人々が信じたような人間的な理性への信仰は次第に信じられなくなり、この16~20世紀(あるいは現代へ)の間には冷徹な観測的事実から見出される新しい意味での理性によって世界をあたらめて認識しないといけないという啓蒙思想が現れます。
さらにそうした事実を今まで人々が見いだせなかった故は、そもそも人間の感覚によって得られる諸事実が、すでに正確性を失っているのではないかという認識論にまで発展し、改めて自分たちの抱いてきた迷信や思い込みを払拭しようという大きな運動へと発展しました。
デカルトに代表される「我思う、ゆえに我あり」というような懐疑的手法によって、そうした真実の足掛かりを探そうと様々な哲学・方法論が発展し、現代の科学主義へと続きます。
私たちが自然を観察し得られると思っている現実は、実はその対象物から得られる感覚ではなくて、自らの感覚器官の発する情報によって構築された、そもそも仮想の情報ではないのだろうか。
カントの著した「純粋理性批判」では、こうした現実と認識の逆転的発想を先の地動説となぞらえて「コペルニクス的転回」と呼んだそうです。
認識者と宇宙
はたして私たちが認識している世界とは何なのか、そしてそもそも私たち意識を持つ人間とはどのような存在なのか。奔放なギリシャの神々への懐疑から始まった西洋哲学ですが、さらに一周し絶対者としての神への懐疑という形で同じような問いへと回帰してゆきます。
「我々はどこから来たのか、我々は何者か、そしてどこへ行くのか」という問いは西洋や東洋、古代や現代に関わらず常に存在し続けた疑問です。これらは神学/科学、占星学/天文学、錬金術/化学等、様々な理性的問いの源泉でもあり、言い知れぬ存在への疑問を抱かせる狂気の影でもありました。
例えば私たちの精神、心というものはこうした科学的な事実を眺め吟味している主体でもありますが、それら”自体”が未だかつて科学的に観測されたことはありません。「われ思う、故に~」というように、自らのそれは疑いようのないものですが、一方でそれ自体が”反証可能性”を持たない非科学的な観念です。
もしもこの”精神”を科学的に問い直そうとするのなら、脳の損傷があった後に性格や認識が歪んでしまったという人の例をとり、物質的な脳という臓器に依存した生化学的な現象だというのが一つの仮説と言えるでしょう。
しかし精神がその物質的な脳に依存している以上、その結果は脳の物理的、化学的な性質に還元できるはずで、私たちの思う自由意思というものは実のところ存在しないのかもしれません。
この疑問は中世などにも存在したキリスト教の”予定論”という議論にも似ていますが、そうした人類を救う神の存在を考えに入れない立場では、その意味合いが大きく異なってしまいます。
予定論では人の自由意思が神の絶対性、神の意志によって否定されることになるのですが、その結果として人々は神の意思によって救われるという希望を持つことにができます。一方人の自由意思を物質的な作用に還元し否定してしまう唯物論の立場では、その人物の選択がただ物質的な作用でそうしたのだ、という以上の意味を持ちません。
私たちがどこからきて、どこへ行くのか。人間の理由や目的という命題に対し、科学ではそうした点に対し応える術はないのです。
このように、以前の宗教が迷信や権威で覆い隠していた真実を見出すという啓蒙思想でしたが、そうして得た科学的見地が果たして人間にとって何なのかという部分では、いくらか期待を裏切る結果ともなりました。科学技術の発達によって人々の暮らしが豊かになったことは確かですが、同時により劇的な形ではっきりと、文明社会による悲劇というものは浮き彫りになっていきました。
元々は私たちのいる世界そのものを指す言葉だった、宇宙(ユニバースあるいはコスモス)という言葉。こうした啓蒙主義、科学主義の時代にはそうした宇宙へのより正確な智慧を得ていく一方で、認識上での宇宙との距離はむしろ遠のいてしまったという皮肉な矛盾も存在するのです。
ツァラトストラにはこう書かれる
このような、科学主義による教会などの諸権威の失墜、問題が複雑化し形而上的な議論ばかりが取り沙汰される哲学界。そのような時代19世紀最後を生きた哲学者ニーチェは大胆な自らの思想を公表し、同時代に生きた様々な人々や組織を痛烈に批判しました。
彼はもしも宇宙の寿命が永遠でありこの世の物質的なものが有限ならば、その物理的な配置パターンはたとえランダムでも幾度も同じパターンを繰り返しうるはずだと考えました。
そうした我々の経験するあらゆる物事が”永劫回帰”を繰り返すならば、それらは特異的な意味をもたず人々の行為は本質的には無価値である、という論を展開します。
しかし彼はそうした考えをさらに推し進め、人々の人生に目的としての意味がないのならば、むしろ人の刹那的な行為にこそ、それを乗り越えるための真に人間的な意味を見出さなければならないと考えました。やがてそうした思想の先に、今人を超越し”永劫回帰”の世界を肯定的に歩み続けられる、”超人”なる存在が生まれるはずだという”超人思想”を発想したのです。
彼はこうした世界観をまず劇的に知らしめるため「ツァラトゥストラはかく語りき」という難解な小説を書き出版します。
この「ツァラトストラ」という人物が彼の小説の主人公ですが、それはかつてイランなどで崇拝されたゾロアスター教の開祖ザラシュストラからとられています。
物語の中で彼は長年森の中に隠れ自らの思想を深めていくのですが、その考えが熟成されていくと、いよいよそれらの知恵を贈ろうと自ら没落を望み人々の中に出てきたのです。しかしこの難解な台詞回しが示す通り、彼はしばしば大仰で、その振舞い方や語り口から人々には誤解されてしまいます。
ツァラトストラはそうした人々の誤解や無理解からくる批判など意に介さず、次第に理解者を得、しかし同時に孤独を愛し様々な街や人々に出会い、自らの思想を広めさらに深めても行きました。
この本に書かれている主人公の思想とはまさにニーチェ自身が主張する”超人思想”であり、彼は人を超えた人である”超人”の誕生を願いますが、これこそがブラッドボーンにおける人の進化というテーマの一つの元ネタではないでしょうか。
この小説では来るべき”超人”を海や赤子に例え、それを産まんとする哲学者たちを時に月に例えます。また進化論を基にしてか、人の存在を獣から来るべき超人との間に渡された一条の綱だと説明し、その進化の道行きを危険な綱渡りのようなものだと語ります。
本の全文がこうした難解な比喩で語られるため、ブラッドボーンの描写のと関連を見出そうとすると偶然に思えなくもないのですが、個人的にはフロムソフトウェアがかなり意識して創作の元にしたのだと考えています。
何故ならこのニーチェの思想において、人間の精神というものは意志という単位によって説明され、そうした”意志”を生命の重要な特徴だと位置付けています。それはそれまでの時代には魂のように解されていた精神的なエネルギーであり、いわゆるソウルボーンというシリーズの中で、この作品の経験値リソースを”血の意志”と名付けた理由であると思うからです。
このような人の心を説明する”心の理論”や”心の哲学”と呼ばれるものは古代から考えられた問題であり、デカルトのような「われ思うゆえに」という”思う””懐疑する”ということを分割できない究極の単位とする考えもその一つだと言えるでしょう。
しかしニーチェは、この「ツァラトストラはかく語りき」や後の「善悪の彼岸」において、人間の何かを手に入れようと欲する”意志”というものを中心にその理論を展開します。
無機物と違う生命の特徴は何かを欲する”意志”であり、その”意志”はしばしば他の”意志”を征服し手に入れることをより強く欲します。しかもその”意志”は時に自らをも征服、克服してより強くなろうと考える。場合によりその主体は容易に顛倒することがあり、ある人物の意志がその人物の行動の目的としても、理由としても説明されます。
ニーチェはこの他の意志を支配し、より強くなろうとする意志の作用を「力への意志」「権力への意志」と名付け、彼なりの生命理論の中心におきました。
原初的な生命の時代から、意志は自らを越えより強い意志となることを欲し進化を果たしていった。さらに他者を支配し生命活動への様々なリソースを得ることで、生命というものは多様な形質を得るに至りました。
そうした弱肉強食の世界ではより力の強い生命も弱い生命も存在することになりますが、弱い生命は彼らよりもさらにより弱い生命を支配しようと意志し自らのニッチを獲得していきました。しかもさらに弱い一部の生命に至っては、むしろ果敢により強い生命を支配しようと欲し、彼らの心中へと進んで生きる活路を見出します。
ニーチェはこのような意志論によって自然にみられる単純な弱肉強食の生態系から、寄生虫や細菌のような複雑な生存戦略をも説明します。
しかしそのように進化した生命の強者としての人間ですが、当然その社会の中にも、強者や弱者という序列は発生することになります。
社会構造が発達しそうした格差が定着すると、弱い立場の人間にはどうしても他者の意志を支配したいが同時にそれが出来ないでいるという、強いジレンマを抱えることになります。そして、そのような構造の中で綴られていく人間社会の文脈の中には、大衆となった弱者が強者をコントロールしようと欲する、嫉妬による「かくあるべし」というメッセージが挿入されてしまうのだと考えました。
ニーチェはこの嫉妬やそれに由来する隠された強者への命令意志を”ルサンチマン”と名付け、旧来のキリスト教的道徳の中にこうしたルサンチマンが数多く含まれてしまっているのだと指摘します。
多くの弱者を救おうと救済の宗教であったキリスト教は人類の共同体としての力を強めた一方で、ルサンチマンに由来する「奴隷の道徳」を広め、社会全体を病のように侵してしまっている。社会が成熟し科学技術によって社会全体が大きく変化していく当時、そうした道徳の形で吹聴されるルサンチマン=重圧の霊によって、人間が本来持っていた意志というものが羽ばたくことが出来ないと考えていたようなのです。
彼は「ツァラトストラ」や「善悪の彼岸」等の著書の中で、受難にあい神の子羊と呼ばれるキリストを、人類の憐れみゆえに磔られた「犠牲獣」だと例え、そうした逸話やキリスト教という宗教が現代ではもはや役目を終えた宗教だという考えから「神は死んだ」と述べています。
さらにはキリスト教のような死後の救済を祈り精神的な態度を重んじた信仰を「かの世界」へと至らんとする「背世界者」や「肉体の侮蔑者」と言い表し、現代の人間はむしろ肉体=生物としての人間に立ち返るべきだと唱えました。彼は肉体の美意識を持った古代ギリシャのような文化にあこがれを持ち、ヨーロッパに残る古代の神々の文化=「古き神の墓場」から肉体への信仰=「大地の意義」を学べと唱えたのです。
彼に曰く、そうした自らの意志に真に気づいた認識者は、孤独を愛し大いに自らの思惟を進めるべきで、旧来の道徳には背を向け「善悪の彼岸」を目指さななければならないのです。
また彼の同輩や哲学の先人たちが、彼らがそのような先進的な考えにたどり着きうるにもかかわらず、旧来の道徳やそうした善悪を無視することが出来ないあまり、むしろそうしたものの擁護者の立場に立たされてしまっていることを嘆き、彼らのような「殉教者」になるなと戒めました。
彼のそうした苛烈にも描かれる進歩への憧憬や弱者への批判は、後には単純な受け取られ方をして、優生思想や過激なナショナリズムの根拠としても利用されました。
淘汰的な進化論を下敷きにし進歩主義的にも思える、”獣から人、そして人を超える”という思想。それまで弱者救済や一部福祉を担っていたキリスト教への批判的な文言。原初的な力というものを肯定し、それまでの道徳的価値観を否定する過激なメッセージ。
彼の生きた19世紀から20世紀を経て現代まで、西洋社会や私たち東洋の世界へも激動の時代が訪れ、その歴史の中へ暗い影を落としていることも事実です。
しかし今回「ツァラトストラ」「善悪の彼岸」を読み、ニーチェ自身にはそのような単純で危険な考えはなかったように思います。
「ツァラトストラ」では人の進化以前の獣として猿の存在を”哄笑”や”汚辱”として蔑みの対象と見なしていますが、一方で「人間は至上の猛獣だ」とも言いました。さらに蛆虫を同様に進化以前の矮小な物の例えとし、世間の様々な煩わしい人々をさし「市場の蠅」と評する場面がある一方、「最高の種属のものは、最も多くの寄生虫を養っている」「おお、いかなれば、もっとも高き魂がもっとも悪しき寄生虫を蔵さぬことがあろうぞ?」と、寄生虫やそれに例えられる弱者が、強者とともにあることを否定しません。
恐らくですが彼の言いたいのは、キリスト教やその道徳では弱者とみられた人々にさえ、己にこらえきれぬほどの意志を持ち、ルサンチマンというものも一種の弱者戦略としての、彼らなりの武器であるということです。
彼が呼びかけるような己の真の意志に気づきそれを高めんとする認識者ならば、彼らの弱者としての戦略を決して矮小化し油断するべきではなく、まして無意味に攻撃するべきでもありません。
あくまでそうした戦略的意志の潜んだ道徳や善悪における不必要なしきたりに縛られることを止め、自らは自らの問題に向き合うべきだということなのでしょう。
ニーチェの考える超人とは汚濁を飲み込む澄んだ大海であり、世界を真新しく眺めあるがままに肯定する赤子でもあり、そして獣の粗野な力強さも、他者を侮らぬ紳士的な敬意も持ち合わせた存在です。彼はそうした孤高の超人の象徴として暗い黒雲に閃く紫電をあげ、そのような存在が生まれ出る遠い未来への愛=”運命愛”を提唱しました。
2022/05/26
その6。
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