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鏡を見て、顔を洗って、また鏡を見る

強い理想を持っている場合、ふっと脳裏を過ぎる不本意な可能性を払拭して、見て見ぬふりをしてしまいたくなりますよね。
でも、後々になって、主観と客観の整合性が取れてくる頃、その時浮かんだ小さな疑問こそ、最良の選択肢への近道だったと気づかされる事が多くある。

目標を定めた時の精神状態からは時間と経験を重ねる程遠くなっていくし、初期衝動と満了時とでは、携わりながら得ている充足感の種類も、いつの間にか大きく異なっているはずです。

私は現在、月末に応募するコンクールの為に作品をを描き進めているんですけれど、なにせ去年の8月末に作製を開始したので、おおよそ半年程自身の精神に不変を強いている状況なんですよね。

制作中の絵画の一部

今の作風は数年前「これぞ私が最も理想とする描画だ」と断定してしまったが故に、とても自分の性質に近い姿をしてはいるものの、まじまじと鏡を見つめ続けているだけのような潔癖さと虚無感がある。
そう言った疑念を信念と呼び変えて、今までのやり方を強行し続けるのは、成長を抑止してしまうんじゃないかな?と、この頃思うのです。

信念と自分で言い切ってしまうのって、思考に進展が無くなるのを肯定するような恐ろしさがありますし、努力を継続した先に充実が齎されるビジョンが見えない場合、その道には既に学びは無いのかもしれません。

信じすぎて鈍感になるのも良くない。
疑いすぎて敏感になるのも良くない。

良い意味で半信半疑で、常に理想を再定義しながら、得た物を鮮度高く生かす。
そういう絵の描き方「も」できるようになれたらな、と思う次第です。

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