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フランス映画に魅了され――山中陽子さんインタビュー
週刊エコノミスト 2023年3月27日
セテラ・インターナショナル社長 山中陽子
ある一人のフランス人俳優に心を奪われ、彼の作品を集めた映画祭を開催したいと、映画配給会社を興した山中陽子さん。それから30年以上たった今も、あふれる熱意は変わらない。(聞き手=井上志津・ライター)
── フランス映画の配給を通じてフランス語文化を日本に普及させたことが評価され、今年2月に「ルネサンス・フランセーズ栄誉賞」のフランス語振興賞(メダイユ・ドール=金)の受賞が発表されました(授与式は3月22日、駐日フランス大使公邸で)。
山中 「ルネサンス・フランセーズ」はフランスのポワンカレ大統領が世界平和を目的に1915年に設立した公益社団法人です。フランス文化の普及に尽くしている人は私の他にもたくさんいるので、何だか申し訳ない気がしますが、ありがたかったです。
── 89年に映画配給会社「セテラ・インターナショナル」を設立して34年たちました。映像輸入会社を経て独立したのはどんな経緯ですか。
山中 映像輸入会社には英語を使う仕事をしたくて入ったのですが、ある日、会社で映画雑誌をめくっていたら、ジェラール・フィリップの写真が載っていたんです。この美しい人は誰だろうと、ビデオ店で借りられる作品を全部見ました。顔がきれいなだけでなく、演技も素晴らしく、そして人間としても知的で誠実で家庭人だったことを知り、夢中になりました。
彼が活躍した40~50年代の映画は、映画館の大きなスクリーンで見るためだけに作られたもの。自分で彼の出演作品の権利を買って、映画館で上映するジェラール・フィリップ映画祭を開催したい、そのためには自分が自由に動けるようにしたい、と起業しました。27歳の年でした。
ジェラール・フィリップは22年生まれのフランスの俳優。47年、「肉体の悪魔」が大ヒット。52年の「花咲ける騎士道」で一躍スターダムを駆け上がり、国際的なスターとなった。53年にはフランス映画祭のため来日。「赤と黒」(54年)や、画家モディリアーニを演じた「モンパルナスの灯」(58年)など数多くの作品に出演。円熟期を迎えていたが、59年、肝臓がんのため36歳で急逝した。
アラン・ドロンの来日成功
── 「セテラ」は順調に始まりましたか。
山中 ジェラール・フィリップ映画祭の準備をしつつ、買い付けの仕事をしました。第1作はアメリカ映画「チョコレート・ウォー」(90年)でした。93年公開の「カサノヴァ最後の恋」に出演した(フランスの俳優)アラン・ドロンの来日プロモーションが成功したおかげで、全国の劇場の人たちにセテラの存在を知ってもらうことができ、自信が付きました。
アラン・ドロンは当時57歳で、カリスマとオーラの塊みたいな人でしたね。とても優しくて、いい思い出です。94年にケネス・ブラナー監督の「から騒ぎ」を買い付けることができたのも大きかったです。お客さんもたくさん入って、その年の外国映画輸入配給協会の奨励賞をもらいました。
── そして、ジェラール・フィリップの出演作を集めて各地の映画館で上映する「ジェラール・フィリップ映画祭」が96年についに実現しました。
山中 時間がかかったのは、ラインアップがなかなかそろわなかったからです。コツコツとフィルムを集めてきましたが、「肉体の悪魔」の権利だけがどうしても取れなかったんですね。「肉体の悪魔」はそれまでビデオも出ていませんでしたし、テレビでも放送されていませんでした。映画祭の目玉として絶対欠かせないと思っていました。
ようやく権利者と交渉し、パリで最終契約までこぎ着けて、日本の上映用に新しいプリントを焼いてもらえることになった時には、「自分で持って帰ります」と言って40キログラムもあるプリントを2本、飛行機に乗せて自分で運びました。超過料金を取られましたけどね。普段は送るんですが、何かあったらいけないと心配だったので。
── 映画祭はどうでしたか。
山中 初日が2月で雪が降ったんです。40~50年代、リアルタイムで彼の映画を見ていた人が来てくれることを期待していたのに雪だったので、来られないかもしれないと思っていたら、映画館の周りを取り巻くぐらい列がバーッとできていました。その後も全国で上映し、どこの映画館でも盛況でした。
普段の上映と違ったのは、全国からお礼の手紙がたくさん届いたことです。映画館に来ることはあっても、配給会社に手紙が来ることなんてありませんでしたから。「青春時代に大好きだったジェラール・フィリップをまた見られると思わなかった」とか「こんなにうれしいことが生きているうちにあるなんて」と喜んでくださって、最初は私自身が作品を見たくて始めたことでしたが、本当によかったと思いました。それをきっかけにジェラール・フィリップのファンクラブを作ったり、お墓参りのツアーに行ったりしました。
資金回収期間が長い苦労
|| その後、生誕80年(2002年)や没後50年(09年)などのタイミングで映画祭を企画し、昨年11月からは12作品を上映する「ジェラール・フィリップ 生誕100年映画祭」も各地の映画館で始めましたね。
山中 今は若い人も来てくれるようになりました。生誕100年まで行えたのでほっとしましたね。生誕90年の時は、まさか10年後まで会社が続くとは思っていなくて、豪華な集大成本を作ったんですよ。
|| 独立系の映画配給会社として、主にミニシアター(小規模映画館)向けに映画を配給していますが、大変なことは何ですか。
山中 洋画の配給の仕事は、まず映画を見つけて買い付けをし、日本全国の映画館に上映を依頼することから始まります。宣伝して、映画を公開した後は、ソフト化やVOD(動画配信サービス)、テレビ放送権の販売を手がけます。大変なのは、買い付けてから資金の回収までの期間が長いこと。買い付けても公開できるのは早くて半年から1年先で、その間も宣伝費で出費が続きます。
公開されて初めて劇場配給の収入が入り、その後、DVDやテレビ放送権などの収入が入るので、回収までに1~2年はかかるんです。また、ビデオ全盛期と比べると、今はビデオ収入が激減しましたし、テレビ放送の収入も減っています。業界全体の変化も厳しいです。
|| どんな観点で作品を選んでいますか。
山中 登場人物のどこかに共感できるもの、自分が見て好きで人にも見てほしいもの、ですね。社会問題をうまくエンターテインメントにしたような作品が多いと思います。
|| 会社を経営する中で危ない時期はありましたか。
山中 00年ごろだったか、3本続けて赤字となり、しばらく買い付けをせずにじっとしていたことがありました。他にも資金繰りの危機は何度もありましたよ。でも乗り越えられたのは、社員数はずっと3、4人のままで、会社を大きくせず、無理をしてこなかったからだと思います。昔は銀行の融資を受けたこともありましたが、この20年ほどは自己資金だけで回すようにもしています。
20年に始まった新型コロナウィルス禍は、映画館が閉まったことで上映できなくなった映画業界にも打撃を与えた。大手の配給会社と比べ、収益の多くをミニシアターの収入から得ている独立系配給会社にとっては、さらに死活問題だった。そこで、その年の5月に始めたのが「Help! The 映画配給会社プロジェクト」。セテラをはじめ、ザジフィルムズ、ムヴィオラなど独立系配給会社が集まり、各社の代表的な旧作をパックでオンラインで配信する試みだった。山中さんは発起人の一人を務めた。
「見なくても生死に関わらないとはいえ、人生が豊かになるのが映画。コロナ禍で始めたオンライン配信の反響は大きかった」
「無理をせず、いい作品を」
|| 20年3月の東京都の外出自粛要請で映画館が閉まった時は、多国籍ファミリーのドタバタを描いてフランスで大ヒットした映画「最高の花婿」(フィリップ・ドゥ・ショーヴロン監督)の続編「最高の花婿 アンコール」上映2日目だったそうですね。
山中 金曜日に公開したものの、土曜日には映画館が閉まってしまいました。翌週の平日は営業しましたが、外出自粛でお客さんもいない状態です。仕方ないとはいえ、本当に困りましたね。でも、映画は見なくても生死には関わらないとはいえ、見ると人生が少し豊かになったり、何かに気づけたりするのも映画で……。それで、映画館で見てもらえない間は自宅で見てもらおうとプロジェクトを始めました。反響は大きかったですね。私もそれまでオンライン配信で映画を見ることはなかったのですが、結構便利だなと思いました。
|| 「最高の花婿」シリーズの第3作「最高の花婿 ファイナル」が4月8日から公開されますね。
山中 今回は映画館で見てもらいたいですね。フランスのロワール地方を舞台に、敬虔(けいけん)なカトリック教徒で保守的なヴェルヌイユ夫妻の4人の娘たちが、それぞれアラブ人、ユダヤ人、中国人、コートジボワール人と結婚したことから起こる異文化コメディーバトルの完結編です。16年に1作目を日本で公開した時は、日本では移民もののコメディーは受けないのではないかといわれましたが、ヒットしました。家族の話は普遍的なんですね。あれから7年。日本でも移民や難民問題はより身近になっていると思うので、愉快な夫妻と娘たちと婿たちにまた会ってほしいです。
|| これからの目標などは?
山中 これからも無理をしないで、いい作品を手がけたいです。配給会社は今、数が増えて競争が激しいんですよ。以前は私の独断と偏見で製作会社などから作品を買っていましたが、ある時期からは若い社員の意見も聞いて買うようにしています。競争に勝つコツは、情報を早く得ること。そして、やっぱり信用は大事ですね。長くやっていると製作会社などに、うちなら任せても安心だ、と思ってもらえているのではないでしょうか。
山中陽子
やまなか ようこ
1962年、兵庫県生まれ。神戸女学院大学卒業。映像輸入会社勤務を経て89年、映画配給会社「セテラ・インターナショナル」を設立。94年「から騒ぎ」、2013年「クロワッサンで朝食を」「ハンナ・アーレント」で外国映画輸入配給協会の優秀外国映画輸入配給賞奨励賞受賞。今年2月にルネサンス・フランセーズ栄誉賞フランス語振興賞の受賞決定。「最高の花婿 ファイナル」が今年4月8日全国公開。