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無償の愛の方向性

親から子どもへの無償の愛は存在しない

息子に八つ当たりしてしまった。

40近くなって初めてコントロール不能のイライラの生理期間を経験した。
これからは男女の肉体的性差をしっかり理解した上で、自分も相手も尊重できるようになってほしい!
と熱い思いを掲げ、息子にもことあるごとに伝えているにも関わらず、がっつり生理のホルモンバランスマジックに陥った。

理由もなく落ち込み、不安になり、悲しみに浸り、反動で攻撃的にもなった。
一緒にいる時間の多い息子に八つ当たりをしてはいけない!と思いながらも、いつもはスルーできる事柄が気に障ってしかたない。
思わず意地悪な言い方で注意したり、威圧的な態度をとってしまった。
これは紛れもなくワタシの彼に対する甘えである。

ワタシ自身が母親と父親のガス抜きサンドバッグとして育ったので、息子にはいくら親だからといって、威圧的な態度で言うことをきかせることは絶対に避けよう!と思っていたのにも関わらず、親と同じことをした。
反省なんてもんじゃない、猛省だ。

5歳の時

自分自身の子供時代を振り返っても、ひたすらに親へ愛を注いでいた。
みてみて、ワタシはこんなに良い子だよ!と言葉でも態度でも示し続けた。
例えば5歳のころ、覚えているエピソードが2つある。

1つ目は父と2人で祖父母宅へ車で行くことがあった。
キチンとしたワンピースにストッキング、ハンカチとティッシュと飴が3つ入った革のポシェットに革靴を履いていた。
スピード狂の運転とはいえ軽く4時間以上のドライブだが、わたしは1度もわがままを言わず、手を焼かせることなど勿論なく、お行儀よく過ごした。
父はわたしを溺愛していたが、それは決して彼の機嫌を損ねるような言動はしない「都合の良い娘」だったからだ。

2つ目は、ホテルのレストランでフルコースをマナーに則って食べることができたことだ。
レストランの方たちに「さすが○○さんのお嬢様ですね」なんてお世辞を言われて彼らは本当に得意になっていた。
わたしはもともと食べることが大好きだったが、ある日突然始まった母の「スパルタ式食事のしつけ」で食事の時間が嫌いになった。

わたしがマナーを間違えると「お前がキチンと教えてあげないからだ!」と父は母をなじり、その母は「しつけ」の名の元わたしに当たり散らした。
「なぜちゃんとできないの!?」
「この前教えたでしょ!?」
「お父さんに怒られるわよ!?」
「将来こんなことくらいできなくて困るのはあなたなのよ!?」
30年以上経っているが今でも言われたセリフも母のゆがんだ顔も思い出すことが容易だ。

常にワタシを特別扱いした父。
浮気を繰り返す父の愛情を独り占めしたい母。
父の愛情を独り占めするワタシが憎いけど、自分だけでは父の興味をひくことができない母はワタシを支配することで鬱憤を晴らしていた。
母にとっては憎いけど父をつなぎとめておく手放せない存在がワタシだった。

どちらの場合でも自慢の誇らしい娘であることが、彼らの自尊心を満たしていた。
母に愛されるため、母が父に怒られないためにワタシが何をすれば良いのか、何を言えば機嫌がよくなるのかを見極める天才になってしまったのだ。
彼らにとっては道具なのにワタシは愛して欲しくて親の愚行を助長させていたのだ。

子どもからの無償の愛を感じる

アダルトチルドレンのカウンセリングを受けたきっかけの1つは、負の連鎖をワタシで断ち切るためだ。
ワタシのように親の顔色を窺う天才にさせてはいけない。
息子にはワタシからの愛情をたくさん届けよう!と意気込んでいたがそれは親の傲慢さだった。
親からは子どもへの無償の愛なんて存在しない。
子どもからの無償の愛に包まれているから親は子どもを愛することができるのだ。
子どもからの溢れる愛で充たしてもらっていることに、気が付いて涙がこぼれた。
誰かに愛されるって本当に特別で、しかもそれが息子から!
そう思うと親はなんてちっさいんだ。

「いいよいいよ、大丈夫だよおかあさん」
「失敗しても大丈夫」
「お母さんはうっかり屋さんだね」
「お母さんのごはんのメニューはぜーんぶおいしいよね」
「お母さん大変!今日まだぎゅーしてないよ!」


「お母さんのこと、宇宙に行って帰って行って帰ってを無限回するくらいだいすき」

いつもたくさん愛してくれてありがとう。
と息子に感謝を伝えていこうと思う母ちゃんでした。



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