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小説『光の指で触れよ』より

久しぶりにこんなに分厚い本を読んだ。
でも読み始めたら止まらなくなって、半分意地のようになりながら四日間で読み倒した。

現在のインターン先である、余市エコビレッジに置いてあった一冊。

「エコビレッジについて書かかれているけど、形態は小説の形をとっているのよ」
そんなエコビレッジの代表の言葉に興味をそそられて手に取った。エコビレッジや自然環境、植物の専門書や雑誌が並ぶ書棚を眺めながら、初めから小難しいものに手を出すことに億劫さを感じていたから、小説から読み始めるのも悪くない。

そんなきっかけで読み始めた小説だったけれど、実際は物語が進行したり世界のエコビレッジを紹介するに留まらず、教育、日本社会、宗教、有機農業や遺伝子組み換え技術、さらにはもっと深い人々の思想・生き様まで書かれていてとても興味深かった。エコビレッジについて、その複雑な思想や抽象的な概念さえも「アート」という形だからこそ表現できていると感じた。

そもそもエコビレッジとは?Wikipediaには下のように書かれている。

エコビレッジとは、持続可能性を目標としたまちづくりや社会づくりのコンセプト、またそのコミュニティ

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


確かに定義はそうなのだけどーでもそれだけではない気がするんだーと私はいつも心のどこかで引っかかってしまう。現代の資本主義の流れと拮抗するような「エコビレッジ」というコミュニティ形態や物質的な幸せを追求しない「シンプルライフ」など様々な生き方があるけれど、そこに一定の定義や型があるわけではなくて、むしろそれらは個々人の思想や経験に呼応した生き方選択肢にすぎないと思うのだ。たとえばシンプルライフと言ってもミニマムライフを実践する人がいたり、逆に、モノが増えてもできるだけ自給自足を実践して丁寧に日々を暮らす人がいたり。だから本当に「エコビレッジ」や「シンプルライフ」を知るには、むしろそこに暮らす人々の生き方や考え方に目を向ける必要がある。

だから私は「小説」という形からエコビレッジを俯瞰したことにしっくりきた。夫の不倫をきっかけにばらばらになってしまった家族がエコビレッジや農的暮らしを実践する人々に偶然出会い、新しい考え方や思想に触れる中で家族や個人のあり方を模索する物語。エコライフや環境に関する専門書を読むと、初心者の私は、つい日常というフィールドから逸脱した、「実践」とは程遠い感触がしてしまう。でもこの物語は「信じていた生活が揺らぎ、新たな形を模索する中で偶然出会ったのがエコビレッジ」という流れで進む。だから人生という時間軸の中でのエコライフへの交わり方が理解できるし、なるほどもしかしたら自分にも同じようなことが起こるかもなと思えてくる。エコビレッジでインターンをしている私は、既に小説と同じような体験をしているのかもしれないけれど。

この本を読んで、宗教や信仰に対する自分の固定概念を見直すことができたり、信じて揺るがなかった家族が壊れることを通して家族そのものや個人の在り方を考えたり、幼い頃にヒマラヤを旅したことでより広い世界を知り、その後の日本での学校生活に馴染めなかった長男の葛藤に共感したりする中で、本当に学ぶことが多かった。今日の午後はもう少しこの余韻に浸って、思考の旅を続けよう。










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