親子が気兼ねなくくつろげる“実家のような温かな場所”を
熊本県合志市で暮らす溝尻亜由美さんは、一般社団法人自然基金(以下、自然基金)が実施している「熊本リーダーズスクール」の一期生です。卒業後は、本職のディレクターやライターとして働きながら、同団体のPRチームの一員としても活動しています。
スクール生とPRチームという2つの立場を通して、各分野のプロフェッショナルから地域ビジネスのかたちを学んだ溝尻さん。生まれ育った合志市に、子育て世代の心のよりどころとなるような場所を作るため、今、大きな一歩を踏み出そうとしています。
家庭と仕事の両立に苦しんでいたあの頃
「子育て中の方が気軽に足を運べて、手作りのごはんを食べられて、くつろげる。実家のような場所を作りたい」。瞳をきらきらと輝かせながら、今後の展望を語る溝尻さん。5年前にUターンした地元・合志市で、人と人をつなぐ事業を始めたいと計画を立てています。
溝尻さんは、ディレクターやライターとして第一線で活躍する一方、小学4年生の子育てに奮闘する母親でもあります。取材に出て、原稿を起こして、帰宅したら家事をして…と、毎日フル稼働! しかし、バイタリティあふれる現在の姿からは想像もできないほど、過去には悩み続けた時期もあったのだとか。
合志市で生まれ、熊本市の大学に進学し、出版社に就職。27歳の時に結婚を機に福岡県北九州市に移住し、29歳で第一子を出産。溝尻さんにとって、慣れない土地での子育てが始まります。「夫は仕事で忙しく、一日のほとんどを子どもと二人きりで過ごしていました」。生後7カ月で子どもを保育園に預け、職場に復帰するも、今度は家庭と仕事の両立に苦悩するように…。
「朝目覚めた瞬間から家事と育児に追われ、会社から帰っても持ち帰った仕事を深夜までこなす日々。実家は車で片道3時間の距離で、本音で相談できる友人もおらず、何度も一人涙を流しました」。そんな時、子どもが大けがを負う出来事が起こります。「仕事から帰って急いで夕食を作っている時に、私の不注意から起きた事故でした。もう限界なんだと自分でもはっきりと分かり、家族で熊本に帰ることにしました」
生まれ育ったまちを長く愛される土地に
約10年ぶりに地元の合志市での暮らしについて「生まれ育ったまちの風景が私の記憶とはがらりと様変わりしていて、喜びよりも戸惑いの方が大きかったのが本心です」と溝尻さんは振り返ります。「人口が増え、新しい家が建ち並び、立派な道路も通っている。その分、昔から暮らしている人と、新しく移り住んだ人とのつながりが薄く、地域のコミュニティが希薄になっているとも感じました」
「20年後、このまちはどうなっているのだろう?」「市民にずっと愛される土地にするために、何かできることはないだろうか?」
そんな時に知ったのが「熊本リーダーズスクール」第1期生の募集情報でした。「地域ビジネスのかたちを各分野のプロフェッショナルから学べるという点に興味を持ちました。子育て中で決して余裕があるわけではないけれど、踏み出さないと何も変わらない。勇気を出してスクールに参加してみることにしました」。同時期に熊本市のPR会社に就職し、仕事でもプライベートでも自分の可能性を広げるための知識と経験を積み始めました。
「バッターボックスに立ち、バットを振れ!」
「熊本リーダーズスクール」では、座学やフィールドワークを通して事業コンセプトの立て方や動き方、他地域の成功モデルケースなどを学ぶことができます。しかし、全6回のプログラムが終了しても、溝尻さんは具体的な事業のかたちが見えないままだったと話します。
「行政に頼らず、自分の足で立ちなさい」
「まずはバッターボックスに立って、バットを振れ!」
スクール卒業後も講師陣からのそんな叱咤激励が心に強く残ったまま。そこで、溝尻さんは一念発起し、PR会社を退職。自分の将来と地域の未来に正面から考えていくことに決めました。
同じタイミングで「熊本リーダーズスクール」のPRチームに加わることになり、第2期生とともにもう一度学び直すチャンスを得ます。
「全ての学びを“自分ごと”として改めて消化することができ、したいこと、できることが具体的に見え始めました。そして、子育て世代の心のよりどころとなるような場所を作ろうと思い至りました。お手本にしているのは、フィールドワークで訪れた香川県三豊市にある、寝転がれるお座敷ビュッフェ『おむすび座』。お母さんたちが子どもを連れてゆっくりおしゃべりランチができる場所づくりに感銘を受けました」
自分を自分で幸せにするための選択をしていく
飲食ができて、地域の人がつながるコミュニティスペースとしての役割も持つ。気軽に足を運べ、親子が一緒に過ごせ、手作りのごはんを食べられる。そして、気兼ねなくくつろげる。溝尻さんが作ろうと考えているのは、そんな“実家のような温かな場所”です。
長く続けるためには事業として成り立たなければならないと、お金の流れや座組みについて何度も検討を重ねています。「幸運なことに、ビジョンに共感して一緒に動きたいと言ってくれる仲間がいます。年内のオープンを目指しているけれど、家庭のこともおろそかにせず、焦らずきちんと準備をしたい」
「大きなことでなくても、目の前の人のためにできることを探していきたい」。子育てに悩む人のため、家族のため、そして、自分のため。「40歳を目前にして、自分を自分で幸せにするための選択をしていくことの大切さに気づきました。事業を始めることに対してはまだ怖い気持ちもあるけれど、前に進むと決めたから歩いていくしかない!」。悩み、迷いながら、それでも諦めずに考え続けて見つけた目指す先。溝尻さんには、確かな道筋が見えているようです。
(取材・文章 三星 舞)