SDGsは正しいか
昨今、SDGsが叫ばれているが、首をかしげる人も多いのではないだろうか。私もその一人である。そもそもSustainableな Developmentなどあるのだろうか。一般的にDevelopment(開発)は建設、資源やエネルギーの消費を伴う活動である。これら全ては環境に悪い。環境は我々の生活基盤である。どのような形であれ開発を進めることは生活基盤を劣化させるので自分で自分の首を絞めているようなものである。インテリジェンスの開発のみを目指すなら持続性は向上するかもしれない。しかし、国連や社会がSustainable Developmentという言葉を使う時、インテリジェンスの開発を意図していないだろう。詰まるところは、先進国のエリート達がSDGsという言葉を巧みに利用し、自分達の立場(開発の正当性)を維持しつつ秘密裏に資源・環境の劣化を食い止めたいのだろう。しかしこのやり方は間違っている。本来はSustaibality(持続性)の開発を目標(Goal)にすべきである。
SDGsの個別の目標にはエネルギーへのアクセスの確保や貧困・飢餓の撲滅といったものがあるが、実際はそれらを進めると世界中で経済活動が活発化し、限りある資源やエネルギーの消費が進んでしまう。とは言えは貧困や飢餓は人道的には解決すべき問題である。なのでこれらを世界共通の目標にするのに異論はない。しかし、より肝心ことを世界に向け発信すべきである。それは「富の分配」や「足るを知る」とう考え方である。先進国や富豪はそれを実行した上で貧困や飢餓の撲滅を叫ぶべきである。「富の分配」や「足るを知る」はSDGsに絶対的に必要だが記載されていない。こんなことでは途上国の人々からSDGsへの賛同を得るのは難しいだろう。最近、やたらと綺麗ごとかつ上面だけの取り組みが増えたと感じる。