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原因を探らない生き方にシフトしてみる


今朝、息子を幼稚園のバス停に送った時に、
いつも同じ場所で乗る仲良しの子が来なくて、
先生が「〇〇くん(仲良しの子)は今日バスに乗りませんので〜」と言って
バスが発車して。

そのニュアンスを私がなんとなく感じ取って、
最近息子と〇〇くんは喧嘩をすることがあって、
昨日もバスを降りてから、最初は仲良く遊んでいたけど、後から色々お互いに不満があって、ちょっとやり合ったので
もしかしたらそれが原因で、〇〇くんのお母さんが車で連れてった?
と一瞬で考えてしまいました。

しかし、すぐに
そんなことを考えても意味がないなって。
原因を探ったところで私には本当のことはわかり得ない・。
そうかもしれないと思って、〇〇くんのお母さんにメールして、

「昨日、うちの子が△してすみません。大丈夫でしたか〜?
もしかして、それが原因で、車で幼稚園行ったとしたらごめんなさい」
と言って、
もし仮に、それがあたっていたとしても、『大丈夫ですよ」と気を遣われたりするかもしれないし、本当にそれが原因ではなく、幼稚園に送った後に車でどこかに行く用事があるかもしれないし、
全く別の用事があるかもしれないし。

何かこの、朝のこの小さな、ごくごく小さな、
いつもなら気にしない出来事でしたが、

原因を追求しても意味ないなって感じました。
ただ、今日は〇〇くんはバスを使わない。
それだけが真実。

私は今まで、何か一つ違和感があると
例えばLINEやメールのやり取りでも、接客中でも
ひとつひとつ意味を考えてしまっていました。

メール 送ったのに返事来ない 忙しいのかな?

相手が会話中喋りが少ない 具合悪いのかな まずいこと言っちゃったかな?  とか。

これは自分の母親が大変人に気を遣いすぎている性格でしたし、
また美容師という仕事を20年近くやってきているので
こういう心を読もうとすることは染みついているのですが、
そうやって事実をこっちで解釈して何か理由をつけるということをしないほうが
だいぶ楽に、穏やかに生きていけるなぁと。
気遣いも相手の気持ちを知ってこそ ですよね。
たまにそこからずれてしまうので気をつけようと思います。

「贈り物とは相手が欲しい物を与えることで、持っているべきだと自分が思うからとか、義理で与えるものじゃない。相手がそれをほしいと思い、自分に与える力があるときだけ贈り物となるんだ」

永遠からのメッセージ/マルロ・モーガン

私にはだいぶ探りぐせがあったなぁと。

これからはそれはそれで完結させる、
原因を探らない生き方をしてみようと
なんとなく思いました。。。
私がやっている自然療法には、原因療法の側面がありますが・・・

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