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hoho8888
動物が看取られずに
動物が誰にも看取られずに旅立って逝くと
「一人孤独に旅立って逝ってかわいそうなことをした」とか
「一人でさみしい思いをさせてしまった」って思うよね。
でもそれは・・・
看取る側の気持ちであって、旅立って逝く側の気持ちじゃーない。
動物の世界では一人で、旅立って逝くのがフツウで
「誰かに看取ってもらいたい」とか
「誰にも看取られずに逝って、さみしかった」なんて思わないし
他の犬に看取ってもらいたいとか、他の猫に看取ってもらいたいとも思わない。
動物が旅立って逝く時に「逝く前に飼い主に会いたい」なんて言う感情もない。
一人で静かに旅立って逝く。
それが動物の本来の旅立ち。
ぼくら飼主に看取ってもらいたいとか
誰にも看取ってもらえなくて、さみしいなんて思うことはないのさ。
複数の動物と一緒に暮らしていると他の動物が寄り添って、旅立つことはあるけど
旅立つ動物が看取ってもらいたいとも思わないし
寄り添う動物も、看取ってあげたいわけじゃーないし、死に目に会いたいわけでもない。
どんなにぼくら飼主や他の動物と暮らしても、どんなに時を重ねても
それが今のところ変わることはない。
そのうち共に暮らす動物が進化したら変わるかも。笑
ぼくら飼主としては、共に暮らす動物の旅立ちを看取りたいと思うし、死に目に会いたいと思う。
死に目に会えないと「会えなかった」と
自分がさみしい、悲しい、気持ちになって後悔するのはいい。
だけど「一人孤独で旅立って逝って、かわいそうなことをした」とか
「一人でさみしい思いをさせてしまった」って思うのは
看取る側の気持ちであって、旅立って逝った動物が「孤独だった」「さみしかった」と思ってることではない。
自分を責める材料に動物を使ってると「それは違う!」と突っ込まれるで。笑