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動物が看取られずに

動物が誰にも看取られずに旅立って逝くと


「一人孤独に旅立って逝ってかわいそうなことをした」とか

「一人でさみしい思いをさせてしまった」って思うよね。


でもそれは・・・


看取る側の気持ちであって、旅立って逝く側の気持ちじゃーない。


動物の世界では一人で、旅立って逝くのがフツウで


「誰かに看取ってもらいたい」とか

「誰にも看取られずに逝って、さみしかった」なんて思わないし


他の犬に看取ってもらいたいとか、他の猫に看取ってもらいたいとも思わない。


動物が旅立って逝く時に「逝く前に飼い主に会いたい」なんて言う感情もない。


一人で静かに旅立って逝く。


それが動物の本来の旅立ち。


ぼくら飼主に看取ってもらいたいとか


誰にも看取ってもらえなくて、さみしいなんて思うことはないのさ。


複数の動物と一緒に暮らしていると他の動物が寄り添って、旅立つことはあるけど


旅立つ動物が看取ってもらいたいとも思わないし


寄り添う動物も、看取ってあげたいわけじゃーないし、死に目に会いたいわけでもない。

  

どんなにぼくら飼主や他の動物と暮らしても、どんなに時を重ねても


それが今のところ変わることはない。


そのうち共に暮らす動物が進化したら変わるかも。笑


ぼくら飼主としては、共に暮らす動物の旅立ちを看取りたいと思うし、死に目に会いたいと思う。


死に目に会えないと「会えなかった」と


自分がさみしい、悲しい、気持ちになって後悔するのはいい。


だけど「一人孤独で旅立って逝って、かわいそうなことをした」とか


「一人でさみしい思いをさせてしまった」って思うのは


看取る側の気持ちであって、旅立って逝った動物が「孤独だった」「さみしかった」と思ってることではない。


自分を責める材料に動物を使ってると「それは違う!」と突っ込まれるで。笑

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