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「お金のためにする仕事」の特徴
「お金のためにする仕事」は辞めよう。
10年前、そう思った私は、26年勤めたメガバンクを辞めた。
ほぼ定時に帰れてストレスも少なく、それでいてボーナスも均せば月収100万円は超えていたから、会社員としてはかなり恵まれていたと思う。
辞めた結果、収入は数分の一になり、今も同じようなものだ。
さぞ後悔していると思うかもしれないが、案外そうでもない。
「お金のために働く」ことを頑なに拒み続けた結果、「お金のためじゃない仕事」というものが、ようやく見えたきたからだ。
「お金のためにする仕事」とは何だろう?
ここでは端的に、お金を一番の目的にした仕事のことだとする。
そう定義した時点で、やりたくてしようがないほど好きな仕事、天命を感じるような仕事は除かれる。
語弊を恐れずに言えば、「やりたくもないのにお金のために仕方なくする仕事」と考えるとイメージしやすいだろう。
そんなことをしてまで人が欲しがる、お金とは何か?
物々交換と比較するとわかりやすい。物やサービス同士の交換は、ダイレクトな価値の交換だ。
しかし、お金で受け取るとなると、直ちに価値は受け取らない。お金の材料である紙や金属そのものに価値を感じる人はほぼいないからだ。
ただし、ずっと受け取らないわけではない。今は受け取らないが、将来、お金を払うことで価値を受け取ることができる権利を得ることになる。
つまり、価値を受け取るのは、今ではなく、将来ということ。
今を犠牲にして、未来に備える性質があるのだ。
動物みたいに空腹になったら獲物を求めて狩りをするというわけにはいかないし、先を見通して行動できるのは人間のすぐれた点ではある。
しかし、残念ながら、すぐに適正範囲を超えて過剰になる性質がある。
自分は十分ではない、欠けているという恐れをベースにした社会だからだ。
よいことのように言われる、「老後の備え」のために働くような状態は、本質から見れば完全に本来の生き方から逸脱している。
今を我慢して将来のために、どうでもよい仕事をすると、ストレスが溜まるので、その解消にお金を使う。日々のコンビニでの買い物から、週末のショッピングや映画、旅行などのレジャー等々。
当然、老後資金もなかなか貯まらず、気づいたら人生も終盤、結局、お金を稼いで消費することに人生のほとんどを費やすことになる。いわゆるラットレースだ。
あるいは、自分で事業を起こしてたとえ成功したとしても、なかなか辞められるものではない。なぜなら、恐れがベースにあるから、どこまでいっても安心ということがない。
もちろん、働かなくてもお金が入る仕組みを若くして構築するクレバーな人もいる。ただ、それはお金の面に関してであり、多くの人の根底にある欠乏や不足の恐怖とは別途向き合う必要がある。
ちなみに、これらの生き方も人それぞれの選択であり、よいわるいではないことはいつも言っているとおりだ。
とはいえ、私がおすすめするのは、「お金のためじゃない仕事」を通じて持って生まれた本来の自分を表現して生きること。
命が輝く本来の方向性なので、ナチュラルで余計な力が要らないし、なにより常に喜びとともにあり、自然と笑顔になれる。
そして、自然に人生が恐れベースから安心ベースにシフトしていく。
もちろん自分の課題と向き合い、勇気を持って一歩踏み出すなど、楽なことばかりではない。
でも、それこそが人生の醍醐味という見方もあり、とても魅力的な生き方ではないか。
これからはそんな生き方を実践し、縁ある人に伝えていきたいと考えている。
読んでくださってありがとう。
以上