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失うことと得ることは、表裏一体。

先週末は、出会いと再会、たくさんの事件?が続発していました。


仕事を辞めると決めてからぶっちゃけ、恐怖と対峙するプロセスがあり、それに伴って多くのつながりを捨てました。それはクライアントやその関係性、今までの成果云々。


わたしは、


「自分が心から欲するものを手に入れたいのなら、それと同等の大事なものを捨てなければならない、あるいは、流れとしてそういうことになる」


というふうに思っています。
それは今までの経験からも、実感があることなので。


今の自分の状態を何も変えることなしに、何ひとつ失うこともなしに、新たに欲しいものが手に入るということは、ほとんどあり得ない。
なぜなら、得ることと失うことは、表裏一体であるから。真理を交えて言えば、失うと同時に、得るが発生しています。


たとえたまたまの幸運で手に入るものがあったとしても、それは大抵、心から欲しいものではなかったりするし、あるいは手に入ったとしても、すぐに無くなるものだったりします。


よく「変わりたいんです」「どうしたらいい?」という言葉を発する人がいるけれど、本気でそう思うのなら、そのために自分が差し出すものや失うものについても、同時に理解していなくちゃならない。


じゃあわたしが今の仕事を辞めるという決意をし、それを行動に移したことで何を得て何を失ったか?というと、


今までの仕事上の人間関係を失いました。
定期的な収入の道を失いました。
今までやってきた仕事に対するプライドを捨てました。
この先得られたかもしれない称賛や評価の機会を捨てました。
関わってきた人への連絡、御礼、引き継ぎのための時間を失いました。


その代わりに得たものは、


夢中になれない仕事をしなくてもいい自由。
完全に自分の時間を好きなように使える自由。
これから自分は何だってできるんだという可能性。
絡みたくもない人と絡む必要がなくなったという自由。
新たな出逢いやご縁。


失ったものも確かにありますが、それによって得るものも損失を上回るくらいに貴重なことで、わたしはそれを望んだからこそ、失うことを覚悟したのです。

物事はすべて、表裏一体。どちらか一方のいいとこ取りをしようという考えでは、大したものを得ることはできない。
この原理を理解できれば、失うことに対する恐怖はかなり無くなります。


先週末は、それを証明するかのようなたくさんのご縁をいただくことができ、新しいお友達ができました。
また、再会の機会にもやたらと恵まれ。


たまたま高校の同級生と繋がったり、しばらく連絡が途絶えてた人と会う約束をしたり、新たに出会った人に共通の友人が見つかったり。
まるで仕組まれているかのような不思議なことが続いています。


何かを失えば、その空いたスペースに、新たな風が吹き込まれてくる。


このことが本当のことだと理解できれば、失うものがあったとしても、それは自分に必要のなかったものなのだと思うことができます。


そうやって執着を失くしていくと、より多くの幸せに気づくことができるでしょう。


あともう一つ大きかった動きは、スリランカに行くことが決まったことかな。


どんどん、望みは加速していく。


これからわたしがどうなっていくのか、わたしが一番楽しみにしています。


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