隠岐一人ハーフマラソン
4月最終日に今月の目標であったハーフマラソンを走った。6月に開催される隠岐ウルトラマラソンに向けてトレーニングも今日で38日目。今までマラソンとは縁が遠く、わざわざ息が苦しくなるのって何が楽しいんだろうと思っていたけど、隠岐の島に移住した記念も兼ねて、島で開催されているウルトラマラソンに挑んでみようという気持ちになった。ワクワクしたらすぐワクワクスイッチを押しにいく。ハーフもフルマラソンも走ったことないのにとりあえずエントリーをポチッとして、やると決めたらトレーニングしようという気に自然となる。
最初は10分走るだけでも苦しかったのに、徐々に走れるようになる達成感と、島の美しい景色を眺めながら朝や夕方にランニングする気持ちよさを覚えて走る習慣が身についた。何事もやってみないと分からないし、案外自分の思い込みで食わず嫌いなだけで、やってみると苦しみの先に訪れる楽しさにアクセスできるものだ。楽しむメガネをかけてこの世界をエンジョイすると決めてるから、どんな心意気でこの世界と出逢うかを、どんな設定にしてあるか意識して内観するようになると、自分が観たい世界を見にいけるようになる。
我あり、故に世界ありで、自分を通して感じる世界は、自分次第で喜劇にも悲劇にもなる。人間は想像力豊かな生き物だから、どちらにもクリエイティブな力を発揮することができる。誰もが、人生を有意義に、幸せに生きたいとゴール設定が明確なのにも関わらず、不幸に陥ってしまうのは幸福になる道半ばの体験であり、それを走り抜けて味わって乗り越えた先には自分の幸せは自分で決めてよくて、社会や他者には決して侵されない聖域があることを僕は学んだ。自分に正直に、自分に素直に、他者を思いやりながらもわがままに生きていい。人に迷惑をかけちゃいけないという呪縛に囚われることなく、申し訳なくではなく、お互い様で楽しく迷惑をかけあって弱さやできないことを責めあうことなく助け合えばいい。社会の当たり前や常識にがんじがらめになって自分を押し殺して生きるより、自分を押し殺しても、自分を出し切っても死ぬ運命は変わらない。死ぬときになってあぁー自分はやり切ったな。楽しみ尽くしたなと人生満足するのは後者だと思う。
いつもは車でただ通り過ぎる道路が、自分の足で一歩一歩踏み出して見る景色や汗をかきながら息をして走る道は違う。いつもの道が旅になる。日常の中に、非日常を取り入れると、毎日が冒険に変わる。遠いところまでわざわざ行かなくても、身近で旅にいける。冒険できる。僕にとって、ウルトラマラソンへの挑戦がそのうちの一つだ。来月は一人フルマラソンを完走して、6月の本番に挑む。あぁー50km走りきった後のビールは嘸かし極上のご褒美になることだろう。
ウルトラマラソンへの道はつづく