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辛い人生に一を足せるか。
辛いと幸せは紙一重だと思う。ぼくは物事の本質を考えるときに、その言葉の語源を表す漢字から紐解く。辛いと幸せが全くの別物なら横棒一本を足すだけで、幸せになるはずがない。辛いとは、その状況に苦痛を感じ、我慢できないこと。人に対する思いやりがないこと。どうして良いか分からず苦しむこと。そして、人の心を汲もうとしないことだと辞書に引くと書いてある。人なら、自分と他者が含まれているし、苦痛を感じて、どうして良いか分からない辛い体験が、自分を成長させ、他者への共感力を養う。その苦しみから、自分も、他者も、解き放たれて相対的ではなく、自分なりの絶対的な幸せを掴み取るために生きているのだと想う。
自分と周囲を比べて「結婚してないから不幸せ」とか「マンションを持ってないから不幸せ」とかそういうことを言う人は、たとえそれを全部手に入れても、まだ足りないものを探そうとします。それに対し、独身だろうが賃貸暮らしだろうが、そんなことは気にせずに、近所の銭湯に行って、「ここで風呂上がりに飲むコーヒー牛乳は最高だね!」と満足している人が勝ちです。
不幸な気持ちになるのは
「ないものねだり」をする人。
幸福な気持ちになるのは
「あるもの探し」ができる人。
人は自分の意識一つで、
辛くも、幸せにもなれる。
人は「足りないもの」にフォーカスしたら、
どんなに満たされても足りなくなる生き物。
人は「今あるもの」にフォーカスしたら、
今この瞬間から幸せな気持ちに満たせる生き物。
足るを知り、楽しさや心地よさや幸せも感じ取ることができる命がある。
他人と比べて得ようとする「相対的な幸せ」を卒業して、
他人を介在させない自分独自の「絶対的な幸せ」を心地よく育む。
この感覚に辿り着くと、自分のサンクチュアリ聖域にいつでもアクセスして辛かった過去の体験は報われ、一を足して幸せな気持ちになれる。
そうなると、辛い体験を遊べるようになる。
自分が体験したことのない領域にワクワクして
わざわざウルトラマラソンに初出場するのも、
辛いに一を足す練習であり、遊びなのだ。
辛いと幸せは表裏一体。
唯一無二な自分の絶対的な幸せを掴み取ろう。
幸せはつづく
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