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【感想】5月の公園

もう8月なんだが??
私も参加させていただいた短歌フリーペーパー「5月の公園」の中から感想をつらつら書いていくよ。

青葉風はしゃぐ五月のあめつちを行ったり来たりぶらんこららら/桐野黎

最後の"ららら"に象徴されるように、無邪気さと爽快感に溢れている。"はしゃぐ"や"あめつち"の文字触りも心地よく、思わずうっとりとする。無邪気さの奥の確かな表現力の高さに脱帽。


片隅のオカダンゴムシゆびさきでつまんでまるくなれば大吉/古河知尋

こちらは無邪気さと可愛らしさ。可愛らしさは主体とオカダンゴムシの両方。"大吉"と言い切ってしまう結句はこの歌の”らしさ”が強調されていて、いい。


大きめのグレープフルーツをふたつ両手に持った男が通る/枇杷陶子

たった1文字、"男"という言葉によって雰囲気が一気に変わってしまう。どんな男なのかの説明が一切なく、読んだ人によって大きくイメージが異なってくると思う。ちなみに僕は「男=不審なおっさん」みたいに捉えて不穏な読後感であったよ。


舞い上がるレジャーシートの無力さをすぐ捕まえて君は若いよ/星野珠青

難しくて読み解けなかった。"君は若いよ"という言葉の真意はなんだろう。どういう関係性のふたりだろう。しかもレジャーシートの"無力さ"を"すぐ"捕まえた君に投げかけている。いや、もしかしたら独り言に近いのかもしれない。うーん。


傍らで友として歩く木漏れ日のなんて眩しい、なんて遥かな/ハルノ

"友として"と言ってしまう主体の不器用さが、鮮やかで微笑ましくて心に刺さってくる。木漏れ日を浴びてさらに眩しくなった友に、もう一歩近づけるように。頑張れ。


ブランコもジャングルジムも鉄棒もどこへも行けないからちょうどいい/御糸さち

大人になるにつれて公園で一緒に遊んだ友人たちは、ひとりまたひとりとこの土地を離れてしまった。"どこへも行かない"ではなく"行けない"とあるのは、もしかしたら主体も町を出たがっているけれど、そうできない理由があるのかもしれない。

この「五月の公園」は集まった短歌を連作のように仕立ててあるので、構成や歌の並びにも注目してみるのも楽しいです。


ここにいてはいけないかたちと気づかずにネモフィラの海を漂っている/嫉妬林檎


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