『新しい詩とその作り方』という本
図書館の新規購入本のコーナーにあった『新しい詩とその作り方』という本を借りた。かの室生犀星先生の本だ。
と言っても俺は室生犀星の詩にほとんど触れたことがない。
タイトルからしてHOW TO本のようだけれど、2章ほど読んでみて、もう、この本自体が詩のようなもので嬉しくなっている。
読んでいるうちに「書かねばならぬ。なぜ書かぬ。書く以外に我々の仕事はないはずだ!」と、燃えたぎるような、居てもたってもいられぬ思いになってしまい、すぐ本を閉じて部屋の中をウロウロしたりトイレに行ったり(たぶんアウトプットするものがおしっこぐらいしかないから)するもので、なかなか読み進まない。
人の心にガソリンをぶっかけて、マッチを箱ごと擦ってぶん投げて着火するような文章だ。室生犀星先生め。
あきらかに俺は毎日に満足してはいないのに、散らかったリモコンをまとめるおしゃれな箱を買ったり、月2回の不燃ゴミの日をカレンダーに記入することで使い終わったスプレー缶をスマートに処理することができるようになったり、そういう日々を良くする小さな工夫をすることぐらいしかやらない。
それで十分のような気がする。良くするために工夫をする。それが丁寧な暮らしだ、と。人間としての心の豊かさだ、と。
実際、整理も整頓も工夫も知恵も好きも嫌いもない部屋で暮らすよりずっと気分はいいが、それならなんで俺は何も書かなくなったのだ。
良くなったことに満足して寝てしまう。
今はどうなるんだ。
眠りに落ちようとしている「今」の立場はどうなる。
使い勝手の悪かった過去と、良くなった未来だけ見て眠っているだけだ。
それが毎日だ。
俺の 今 はどこにいったんだ。
という思いは生まれたものの、まだ何も書いていないし、本もぜんぜん進まない。
すぐトイレに行くのだけはガマンして、読もうと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?