#2【綿を食べる】
祖母がシンガポールから帰ってきて
二日後に、祖母は近くの大学病院にかかった。
その日も私は
アルバイトで帰宅が遅くなり
寒い中自転車を漕ぎ漕ぎ帰宅したので
ほっぺたを真っ赤にしながら
リビングにたどり着いた。
「おばあちゃん、癌やねんて」
なんともいえない顔をして
母が言った。
うちの家では、
「行ってきます」と「行ってらっしゃい」
「ただいま」と「おかえり」
だけは、どれだけ喧嘩してても
言わないと行けないルールだったのに
その事実が衝撃すぎて、
「おかえり」が出て来なかったのだろう。
私も、「ただいま」が言えなかった。
おばあちゃんは、母方の祖母だ。
つまり、母からしたら、自分のお母さんなのだ。
おじいちゃん、つまりおばあちゃんの夫は
私が小学生の時に、なんの前触れもなく
心臓麻痺でポックリ亡くなっている。
その知らせを受けた時も良く覚えているが
この知らせも、おそらく一生忘れられない。
いつもぐちぐちと口うるさい上に超のつく早口の母が
ポツリポツリとしか言葉が出ない。
「胃癌らしいわ」
「ステージ4ってやつらしくて、結構進行してて」
「このままやと、3ヶ月持ったらいい方らしい」
「ただ、歳も歳やから、手術してもあんま意味ないらしくて」
「めちゃくちゃ痛いはずやのに、我慢してたんちゃうかって」
いつも暖かくて美味しいご飯が
その日はなぜか、
綿を喉に詰め込んでいるようにしか感じられなかった。
その日はなぜか、
普段はすでに寝ている父も起きていて
その日はなぜか、
飼っている犬が母親から離れなかった。
なんて返事をして
どうやってお風呂に入って
お布団に入ったのかは覚えていないが
頭の中で胃癌という言葉がぐるぐるして
スマホで
”胃癌 完治”
“癌 ステージ4”
“胃癌 原因”
“癌 治療”
思いつく限りの言葉を調べては
期待した結果は得られなくて
そうこうしているうちに
隣の両親の部屋から
押し殺した泣き声が聞こえて
つられて泣いて、
気がついたら朝になっていた。